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「思い出のマーニー」(6)        When Marnie Was There  

マーニーとの「たましいの交流」を終えたアンナが自然な回復過程に入ったことは、たとえば以下のような記述に読み取れる。

それは、「湿ッ地屋敷」を買い取って移転してきたリンゼイ一家のプリシラという内面的な性格の女の子との会話で
「・・・・・あたし、マーニーという名前の女の子はこの世にいないと思っているの。その人は空想から生まれた人で・・・・・あたしがあるとき、頭の中でこしらえた人・・・・・そのとき、あたし、とてもさびしかったから。いまではよく覚えていないのよ。もうずいぶん昔のことみたいで・・・・」(新潮文庫 「思い出のマーニー」253ページ)
とある箇所など。

最初のうち、リンゼイ一家との出会いをアンナは空想なのか現実なのか判然としない状態から、次第に実在する人々との交流なのだと正常に認識できるようになる。それはマーニーの場合を自分が生んだ幻想だと認識し直すことでもあった。
また「湿ッ地屋敷」を、それまでの彼女はいつも入江に面する裏側だけから見ていたことにも気づいた。リンゼイ家に入るには正面玄関からなのだ。

「・・・・同じ家の二つの顔・・・・・一つは大通りに面し、もう一つは背後の海に面している・・・・そしてアンナは、後ろ向きの側にあまりに夢中になっていたため、一時期、それをこの館の正面と思い込んでいたのだ。あたしって、なんであんなに馬鹿だったんだろう、とアンナは思った。・・・」(同216ページ)
アンナの認識は次第に現実界に還りつつあるのだろう。別の見方をすると、潜在下無意識の世界(ファンタジー)から意識のレベル(現実)への回帰ともいえる。

しかし、ここで驚くべき新たな事実が判明する。プリシラはなぜかアンナの心のなかの「マーニー」の存在をすでに知っていたのだ。
それは、リンゼイ一家が「湿ッ地屋敷」に入居するため、改修工事が進められているなかで、プリシラの部屋に予定されている、あの部屋(アンナのファンタジーでは、マーニーの部屋だった)の食器棚の背後から発見された古い日記帳を読んだからだ。
この古びた日記は半世紀ほど前、確かにこの屋敷で生活していた「マーニー」という少女の日記だったのだ。プリシラはその日記の内容を「秘密」にしていた。プリシラは最初、アンナこそ日記を書いた「マーニー」だと思い込んですらいたのだった。
古びた日記を見せてもらったアンナは言う。

まーにーの日記
「・・・・アンナはじっとプリシラの顔を見つめた。『だけど、このノートは本物よ。しかも、書いたのはあたしじゃない。ということは、マーニーは空想の人間ではないってことになる。つまり、マーニーがこれを書いたんだっていうことになるんじゃない! 』(同258ページ)
なんと、マーニーはかつてこの屋敷に実在していた!!!
てっきりすべて自分の空想の産物だと思っていたアンナの頭は混乱した。

「・・・・自分は以前、マーニーという空想上の少女の物語をこしらえた。そしていま、奇妙な偶然で同じ名前を持つ少女が、”湿地の館”に住んでいたことがあり、そこで日記を書いていたことが明らかになった。つまりはそういうことだ。とはいえ、そう思う一方で、自分はたしかにその少女を知っていたし、いろいろ話を交わしたこともあるという不思議な感じも残っている・・・・・それはちょうど懐かしい夢を思いだそうとしているような感じだった。」(同267ページ)
古い日記に書かれている出来事は、そのままアンナのファンタジーとの不思議な一致を示していたからだった。実にドラマチックな発見だった。

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やがてすべての真相が明らかになる。
かつてこの館にマーニーが確かに住んでいた頃、よく遊びに来ていたギリーという老婆が登場する。そしてリンゼイ一家やアンナとともにマーニーの思い出話をすることになった。
ギリーによると、マーニーは実在の人間で、裕福な家庭の一人っ子だったが、親の愛に恵まれない境遇で、いつも一人ぼっちで放っておかれていたようだった。さらに意地の悪い婆やとメイドに虐待に近い扱いを受けていて、気の毒な境遇の少女だったのだ。

しかも、なんとも驚くべき事実なのだが、半世紀前のマーニーはアンナの実祖母であり、かつて幼いアンナを引き取ってわずかな間、養っていたのだった。その住居こそはこの”湿地の館”であった可能性が高い。なぜなら孤児院にいた頃の寮母からプレストン夫人が聞いた話しでは、幼いアンナは”湿地の館”の絵葉書を肌身離さず持っていた。そしてその送り主は、祖母マーニーだったのだ。

こうして、初めて「湿ッ地屋敷」を見たとき、十二歳のアンナが不思議な懐かしさに襲われたのは根拠のあることだった、ということが判明する。同時に同じ年頃の祖母マーニーの幻影がアンナの心に立ち上がったのも、マーニーが幼いアンナに語った自らの少女時代の思い出話が素材になった可能性も推定できるのだった。

河合隼雄氏はこう分析している
「・・・・何とも不思議なめぐり合わせである。しかし、この話をいわゆる因縁話にしてしまわないだけの高貴さを、この本は持ち合わせている。それはなぜだろうか。それは一人の少女のたましいの世界を的確に描くことによって、たましいの世界が関連したときにしばしば生じる不思議なめぐり合わせが、そこに現れたことを、むしろひとつの必然として感じせしめる迫力を、この本が持っているからである。調べてみると、そもそもアンナの祖母マーニーは、父母の愛の薄い生活を強いられていたのだった。アンナが『アンナのマーニー』に同情したように、マーニーは父母からほったらかしにされることが多かったのだ。マーニーが親の愛を知らなかったため、マーニーの娘、つまりアンナの母もそうであり、従って、彼女もアンナをそれほど愛せなかったのだ。・・・・・」(「<子どもとファンタジー>コレクションⅠ 子どもの本を読む」岩波現代文庫2013年83ページ)

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ここからは私の想像も交えて内容を補足してみたい。

第2次大戦が始まり、おそらくドイツ軍の空襲にイギリスが晒されるようになったとき、マーニーは幼いわが子をアメリカに疎開させた。日本の「学童疎開」の話も思い浮かぶ。
しかし戦争が終って帰ってきた娘エズミは、マーニーの「薄情」を怨む娘になっていた。エズミからすれば、マーニーが安易に他人に養育を任せたということだろう。
河合氏はマーニーとわが子エズミ(つまりはアンナの母)との深刻な心のすれ違いの原因をマーニー自身の発育環境から推理している。結果的にマーニーの親がしたことと同じことを娘にしてしまったのだ。戦争という危険が迫っているからといって幼い子供との母子関係を安易に考えるべきではなかった。手の届かない遠隔地に送ってはいけなかったのだろう。
大人になったマーニーの娘エズミ(アンナの母)は、親の承諾もなく結婚しアンナを生んだがすぐに離婚。更に再婚した夫との新婚旅行で夫婦とも交通事故死したという。つまり孫娘アンナもまた親の愛に恵まれない育ちなのだ。
更に悪循環は続く。僅か三歳の孫娘を引き取ったものの、マーニーは心労からかすぐに亡くなってしまった。こうしてアンナは天涯孤独になったのだが、この三世代に続く「親の愛に恵まれない薄倖」なめぐり合わせは、いわゆる「運命」「宿命」の「糸」とでもいうべきものだろう。

しかし、ここで指摘されているのは人間の幸不幸を、単純な因果決定論で説く安直な「因縁話」ではないことに留意すべきだと思う。
むしろ、我々にとって励みとなるのは、こうした境遇にもかかわらず見事な「蘇生劇」をアンナが実現したことなのだ。それは命にかかわるようなきわどい精神の格闘であった。その場はまさにここリトル・オーバートンでしかあり得なかったのだったのだ。

私にはそう思えてならない。