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「ローッキード事件」(2)巷の狂騒

「ロッキードF104J戦闘機」という名称はとても懐かしい。

すでに現役を引退した機種だそうだが、あの頃は「最後の有人戦闘機」などともてはやされたのだった。

かつて岐阜基地の航空ショーで見上げたF104Jは、ミサイルのような形状がとても美しくて斬新だった。シルバー色の機体が太陽光をまぶしく反射して輝き、いかにも俊足の戦闘機に見えた。最大速度はマッハ2を軽く超え、子供の頃に聞いた俗説では東京ー大阪間を10数分で飛んだとか。
「20ミリバルカン砲」とか「サイドワインダー」などという装備品の名称も鮮やかに覚えている。

航空自衛隊岐阜基地は戦前までは陸軍航空隊の基地だったそうで、近くで育った担任の先生の思い出話では、登下校の際に陸軍の支援戦闘機「飛燕」の翼の下をくぐったものだという。
確かに航空隊基地の壁には、弾痕と思われる傷や穴もまだ残っていた。

飛燕

ともかくF104の爆音は凄まじかった。
離発着の訓練で発する大音響が終日あたりを圧していた。

そのロッキードF104の導入過程にも児玉誉士夫がフィクサーとして暗躍していたのだという。
「・・・・ロッキード事件が発覚するより前、児玉は『兵器発注に私利私欲は許せぬ』と言い、それを理由に政府の機種選定に介入したと説明した。ところが、ロッキード事件の公判廷での主張によれば、児玉は、ロッキード社の側の依頼に応じてF104の売り込みに尽力し、ロッキード社から提供された資料を河野一郎に渡したという。F104選定が決まるまでの間だけで児玉は数回に渡って300万円ないし500万円ずつの謝礼をロッキード社から受け取ったという。・・・」(「秘密解除 ロッキード事件」196項)
事実とすれば、とんでもない悪党だということになる。

あの美しいシルエットの戦闘機の選定過程に、こんなにもドス黒いカネの授受があったのかと今更ながら心外に思われる。

それだけではない。
日本の「ロッキード裁判」で争われたのは、民間航空機の導入を巡る田中元首相への5億円受託収賄容疑だが、実はそれよりも遥かに大きな利権=「国防兵器」導入をめぐる深い闇がほの見えた。それは戦後日米安保体制の根幹に及ぶ大スキャンダルに発展する可能性があったのだった。

しかし、本丸を隠すためにいわば出城に過ぎない「田中金脈」に限定して無理筋の捜査を強行、真相をカムフラージュしたとの疑いも指摘された。それとも、所詮は検察も国家権力の一部分、日米関係の政治的機微にまでは手が出なかったということなのだろうか。

しかし当時の世論は田中批判に集中した。
前年から雑誌の特集で追求を受けた田中金脈疑惑に、折からの急な物価高(確か「狂乱物価」といった)が国民一般の感情的反発を招いた。そこへアメリカ発のスキャンダルが飛び火して、あっという間に燎原の火のごとく炎上した。

就任直後は懸案の日中国交回復を実現した実行力と、学歴のないなか苦学力行して総理にまで登りつめた「今太閤」などともてはやしたマスコミ。逮捕後はまるで手のひらを返したように、元首相を「田中」「田中」と(判決が確定もしてないのに)あたかも極悪人のように呼び捨てる連日の報道合戦・・・・私にはそう見えた・・・・には違和感もあった。
元首相を断罪することによって留飲を下げたいという感情にマスコミが便乗した格好に見えた。否、もっと穿ってみれば、この局面での田中叩きなら横並び報道だから、マスコミにとっても「正義を気取ることのできる安全パイ」だったのではなかったか。しかしいつもそうだが、こうした冷静な見方は圧倒的な感情論のうねりのなかに飲み込まれてしまう。
そこには、よく「熱しやすく冷めやすい」などと批評される日本人の情緒的なポピュリズムがあったのかもしれない。
気が付いてみると「ロキード事件」とは、民間機導入についての現職総理大臣の汚職という絵柄だけに矮小化されたのではなかったか。肝心の武器導入の汚職疑惑は闇の中に消し飛んでしまった。

ことさらに面白おかしく「陰謀史観」を言い立てる意図はないが、本当に裁かれるべき巨悪は意図的に見逃されたのだろうか。
だからと言って元首相の金権政治が免罪されるわけではないが。
あくまで素人の推測に過ぎないが、真の悪党がうまく難を逃れ、影でほくそ笑んでいるなどということがあったのかもしれない。

ことさらに面白おかしく「陰謀史観」を言い立てる意図はない。
だが、あくまで素人の推測に過ぎないが、真の悪党がうまく難を逃れ、影でほくそ笑んでいるなどということがあったのかもしれない。

本書はあくまで資料事実に基づいた「中間報告」の体裁をとっていて断言は慎重に避けている。

「出る杭は打たれる」というように、成り上がり新興勢力が台頭しようとするときの既成勢力の「反作用」のようなものが裏で大きく蠢いたような印象も当時から私にはあった。根拠はない。

もちろん、そのことをしっかり考えたり調べたりする時間も余裕もなかった。