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ロッキード事件(16) 「嘱託尋問」の戦い

米国裁判所で行なわれたコーチャンらの「嘱託尋問」の有効性については今も大きな争点として残っている。最高裁ではひっくりかえっているが、下級審の判決では認められた。

「コーチャンらの証言を排除しても『その他の証拠』で有罪とし得る」という、素人目に見ても不可解な判断でもって最高裁は上告を退け(1995年)、ここに裁判は終結してしまった。 その二年前すでに田中元首相は死去していた。

この点では、日本のロッキード裁判で弁護に立った木村喜助氏「田中角栄の真実」(平成12年 弘文堂刊)の有力な反論を引用しよう。
著者はいう。
「・・・・そこで東京地検は、刑事訴訟法(以下刑訴法という)上の起訴前の証人調べの制度を利用しようと考えた。これは・・・重要な証人が・・・・捜査に協力しないような場合に、証人を強制的に取り調べることができない検察官が、裁判所に証人尋問をしてもらうことができる制度である。これは証人の勾引や偽証の制裁を伴う強制手続きである。ところがこれを外国の裁判所に対して行う規定はわが国の刑訴法にはない。したがって外国裁判所に対して嘱託して証人尋問すること自体が違法なのに、この事件の場合は、形は東京地検の検事が東京地裁の裁判官にコーチャンらの証人尋問を請求し、東京地裁から司法・外交ルートを経由して実際には米国の裁判官に証人尋問をしてもらうという方法をとったのである。
しかもその際に『コーチャンらがもし黙秘権を行使して証言を拒んだ場合であっても、同人らに対し「起訴しない」という約束をして証言させるように』、と付け加えたのである。このような不起訴を約束して強制的に供述させることは人権侵害にもなるし、真実の供述を得ることにもならないという理由でわが国では違法であり、そのような供述は証拠にできないという有名な最高裁判例もすでにあったのである。」(同15-6ページ)

いっぽう、「壁に向かって進め」(講談社1999年5月刊)のなかで堀田力氏は
「ポイントとなるアメリカ連邦法の規定は、タイトル二八編一七八二条であって、そこには、連邦地方裁判所が、外国の裁判所の嘱託によって証人尋問や証拠物の押収をすることができると定められている。その後、ロッキード事件の経験に学び、日本も一九八〇年に『国際捜査共助法』を制定して、同じような捜査協力をできる制度を整えた」(「壁に向かって進め」 上30ページ)
つまりアメリカ連邦法の規定には根拠があったのだろう。しかし日本法の規定する範囲にはなかったということだろうか。いずれにせよ、落とし穴だったようだ。
そして、「アメリカの司法制度は日本と違って、国外犯をいっさい処罰できないことになっています。だから、アメリカの司法省は、アメリカ人が自国の外で犯した違法行為については、その国で処罰してもらうしかないから、その捜査に積極的に協力するのです。」( 「壁に向かって進め」 上47ページ)

そこで第一回検察合同会議で堀田氏は
「アメリカの連邦司法省は、この規定に基づいて、ヨーロッパや中南米諸国など、世界中の国から日々に来る証人尋問や物証引き渡しの嘱託に応じている」
「だから、日本の検察官が日本の裁判所に対して、コーチャンらの証人尋問を請求し、日本の裁判所がアメリカの裁判所にその証人尋問の嘱託をしてくれればアメリカの裁判所がこれに応じてくれる可能性は、十分ある。」(同30ページ)
と記している。
実際にはアメリカの司法事情に詳しい堀田氏らの努力で「嘱託尋問」を含む日米司法取り決めは成立した。そこにはエンド・オブ・ジャスティスを共有する日米司法当局者の連帯もあった。
さらに日本側の事情として
「まず、贈賄側から供述を引き出し、事実を固めていくのが捜査の王道なのであるが、そのために、コーチャンやクラッターをどうしゃべらせるか。いままで、日本の捜査当局が、外国にいて捜査協力を拒む人間から供述を引き出した例はない。結んだばかりの司法取り決めでは、アメリカの裁判所に嘱託して証人尋問してもらう方法を定めている」のだ「が、これがすんなりいくかは見当

もつかない」(「壁に向かって進め」(上)154ページ)という心配があった。それに、
「頂をめざす道はこれ以外に考えられないのであるが、問題は、時の壁」もあった(同155ページ)
という具合で、時効も8月上旬に迫っていたなかでの短期決戦だったのだ。

差し迫るデッド・ラインのなか、ともかくしゃにむに進むしかなかったのが実情だろう。木村喜助氏の指摘への明快な反論はうかがえない。確かに日本側「刑訴法」に明確な根拠はなかったのではないだろうか。
しかし米国の司法現場では移民の子孫がつくった「合衆国」らしく、日常的に外国の裁判所の嘱託によって証人尋問や証拠物の押収をする事例があったのだ。むしろ極東の島国日本の事情のほうが特殊で例外的だったのかもしれない。ここは大きな論点だと思う。

さらに、米国の裁判所で嘱託尋問を実現するためには、証人に米国刑法でいう「刑事免責」を保証しなければならないが、日本の司法にはその制度はなかった。これが国境を越えた「手続きの壁」としてはだかり、ロッキード側弁護団の格好の攻め口になった。
刑事免責に代わるものとして、日本側は検事総長の「不起訴宣明書」を発することで対抗した。刑事免責と同等の効力をを持つものだとしたのだ。だが米国の検事にはそういう権限はない。果たしてその「有効性」の有無が米国裁判所で大いに争われた。

いっぽう、時効の壁が迫る中、日本側の捜査は 見切り発車で丸紅や全日空幹部を取り調べ自供を取り、その逮捕を執行し、「政府高官」まであと数歩と攻め上げている。これに間に合うように在米の日米検事団はなんとしてもコーチャンらの嘱託尋問を実現せねばならない。そしてその証言内容が日本側の捜査と一致するかどうか、つまりは起訴の確たる裏付けになるかどうか、まさに手に汗握るきわどい攻防戦が続いた。

ロッキード側の時間引き延ばし作戦や控訴で、法廷闘争は地裁から連邦高等裁判所へと移っていった。
そして、7月初旬に入った大詰めの土壇場、ウオーレン・ファーガソン判事の裁定は以下のような劇的な結論になった。

「『私は、日本の法制度上、証人らに有効に刑事免責が与えられているかどうかについて、私が、ここで確定的に決めるのは適切ではないという結論に達しました』
 ああ、だめだ、身体中の血が無限に下へ沈んでいく感覚であった。(ロッキード社側)弁護人たちの方を見る力もないが、彼らが精気を爆発させるのがわかった。
『それで、私は、次のように決定します。本件の証人らは、速やかにジャッジ・チャントリイの主催する嘱託尋問の手続きにおいて、非公開で証言すること』

ええ、! 私は、聞き違えたかと思った。
・・・・・・
『ただし、証人らの証言を録取した証言調書は、日本の最高裁判所が、ルールまたはオーダーによって、証人らが証言した事項については起訴されないことを保証し、その文書が日本政府から当裁判所に提出されるまでは、日本側に渡さない。また、この嘱託尋問に立ち会っている日本の検事は、証人尋問で知った事項を、何人に対しても漏らしてはならない』
再び、絶句。」
これは、どういうことだ。
(「壁に向かって進め」下96-97ページ)
敵味方とも想像だにしない裁定だった。

この裁定を平たく言えば、ファーガソン判事は、嘱託尋問を非公開で実施させるが、その証言調書は、日本の最高裁判所から証人が起訴されないことを保証する文書が来るまで日本側に渡させない。また、この嘱託尋問にたち会っている日本の堀田検事らは何人に対しても内容を漏らしてはならない、という裁定なのだ。
日本側検事総長の宣明だけでは足りないというのだ。とうとう日本の最高裁判所のお墨付まで出せという。敵味方とも予想もつかない判定だった。
堀田氏自身「頭が真っ白になって、何も言えなかった」
また、「誰もが、喜んでいいかどうかわからず、戸惑っていた」
「事実(敵味方とも)どう対応していいのか、わからなかった」(同97-8ページ)

「日本では、苦しい捜査を、しかし、全力を挙げ必死で進めている。こちらも、なんとかしたい。しかし、なぜこんなに難しい壁が次々に現れるのだろう。」(同101ページ)
国際電話でこの判定を聞いた吉永主任検事も絶句した。
コーチャンらの証言を、今か今かと一日千秋の思いで待っていた日本側捜査陣として当然の反応だろう。確かに、この「壁」はもはや検察当局の裁量の範囲を超えていると言わざるを得ない。
「あとは、ボールを日本の最高裁判所と法務省刑事局に預けて、そちらで壁を乗り越えてくれるように願うほかない。」(同102ページ)

しかも、
「おそろしいのは、弁護人らが上訴することである。そうなれば、またまた証言開始命令に執行委停止がかかり、開始が遅れるおそれがある。もう(丸紅の)大久保、伊藤へと(検察は)攻め上がってきており、これ以上証言が延びれば捜査の役に立たなくなる。ということは、彼らを自供させ。さらに檜山(丸紅社長)から田中(角栄)へと攻め上がっていくための材料を提供できないということだ。それでは、なんのためにこれまで苦労を重ねてきたのか、わからない。
もうひとつ、難関は、コーチャンらが、アメリカ憲法修正五条の黙秘権を行使することだ。・・・・・そうなれば、もうお手上げである。・・・・その二つの爆弾を抱えながら、私たちは、7月6日を待った」(同102-3ページ)
まさに、絶体絶命の淵に立った気分であったことだろう。

しかし事態は急転直下、幸いにもロッキード社弁護団の控訴はなかった。そして心配された米国憲法上の黙秘権の行使もなかった。そこに堀田氏はアメリカ法に違反することは何もないという、 コーチャンのプライドを見たという。
こうして
「アメリカ法上考えられる限りの異議を申し立て、証言することに抵抗したコーチャンが、すべての壁を打ち破られて、いよいよ、証言することになった。」
「アメリカでは、偽証の疑いがあれば、徹底的に捜査され、起訴される」
「だから、ロッキード事件の(日本の)国会証言では、主要な(日本側)登場人物が次々と偽証し、国会の調査では決定的な事実はすべて隠されてしまったのに対し、コーチャンはアメリカの議会で実に言いにくそうにしながらも・・・・決定的な事実を証言したのである。
このことからすれば、コーチャンは、「嘱託尋問」では、客観的な事実については、真実を答えるであろうし、詳しく聞いていけば詳しく答えると予測される。」(「同」下111-2ページ)

 果たしてコーチャンは政府高官「首相・田中角栄」の名前をとうとう口にしたのだった。

作成者: webcitizen528

A Japanese man in Osaka

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