絶海の孤島を見た


絶海の孤島

勝手なことを言わせてもらうので
このサイトは予めご注意ください。

映画「第三の男」より

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いまさらながら、嫌な世の中だと思う

人びとが傷つけあうために
生まれ合わせたかのような世界

テロや難民、飢餓と暖衣飽食が同居する地球

冷酷な「適者生存」のルールで
「いじめ」や「虐待」が猛威を振るう

「人類史」とは、つまるところ戦慄の「同種殺戮史」ではないだろうか

科学技術の登場が、なおさら残酷を極めた

ところが

巷には、破廉恥や醜悪がむしろ「売れる」という倒錯現象が横行している

そこには

言葉の毒矢が飛び交い
ひきつった冷笑が充満している

ゴキブリの背のように脂ぎった悪徳が大手を振り
かげろうのように淡い善意が嘆息に沈む

チンピラ政治屋が跳梁跋扈する「民主制」
政治家の必須要件は「ウソと破廉恥」

聖職者が密かな悪行を重ね
役人が納税者を騙し
教育者が生徒を犯す
凄惨な幼児虐待


その刺激を売る「マスゴミ」

「連続テレビ小説」という素人学芸会

「芸能界」は酷薄・軽薄・醜悪な笑いの巷

まるで出来の悪いお化け屋敷のような世界に見える

・・・ここで生きることは、かぎりなく消耗する

何か根本的に間違っているのではないか心が酸欠状態だからだろう


また胸苦しくなって深夜に目が覚める。

不安に怯えながらも
陽が昇れば忘れ顔で
また安逸に身を委ね
刺激を消費する

その足下には奈落が口を空けている。

「前例のない」異常気象が
弱者を狙って襲来する。

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「悲観」「虚無」

苦しみに呪縛された岩

それは
「適応障害」という精神障害なのだという診断だった

しかし

いまどき「ケンコウ」を誇るのは
恥ずべき「愚人」ではないだろうか


いずれ死ぬとわかっていながら

こんな汚辱と不条理をなぜ生きるのか
そこにどんな意味があるのか
あるいは無いのか
判然としないうちに
終わりが見えてきてしまった


ほとんどすべてが未解決なまま、漂う思念・・・・・・・

また、悪い癖が巡ってきたのだろう


少し弁解もさせてもらおう

ともく
ここまで「前途放棄」しないでこれたこと

それだけは慰めておこう
ただし、むしろ後ろから押されてきた。
そしてやっと「部分解放」となり、見直す時間をもらった。


自分の子供に
おこがましく「親づら」をしないこと
なるべくつまらぬ「我」を押し付けない
手痛い反抗に狼狽するだけだ
確かに自分の子だけど、また別の人格なのだ

そもそも、お前の所有物ではない。

夫婦であっても
本当はお互いわからないものだ
わかったつもりは、しくじるだけ

もともと他人なのだから
できるだけ適度な距離が安定する

こんなヤツに付き合ってくれたことを
少しは感謝して
「恨まないのがルール」

先に死んだら、ひと泣きで結構
忘れたほうが良い

残されたら、ひとりで生きるから
大丈夫。

なるべく嫌な思い出の少ない相方になろう
いずれ「風」のように吹き去るしかない
それ以上は何もできないのだから。

「絆」などという薄っぺらい「欺瞞」はご遠慮する。

子育ても終わった
親も死んだ
先祖は死に絶えた
いずれ知り合いも減ってゆくことだろう

あとはせめてきちんと自分を始末したい


鬱蒼たる樹林の古道
ひとり歩きながらふと思う

このまま死んだらどうだろう

最終的には「人生ひとりぽっち」と
後で気づいては遅い
予め心得ておこう。

実は皆、「たった一人」なんだ。

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絶海の孤島を見た。

 

もとより「孤」なのだから
煩わしい「連帯」は求めない。

来るものは拒まない
去る者も追わない。

「気難しい老人」になる前に消えよう
被害者を気取るまい
私もまた、加害者なのだ。

死んだお袋もよく言っていた
「他人様にご迷惑かけちゃいけないよ」

死んだおやじが、あの愚劣な戦場で悟ったことひとつ
「・・・・所詮、生まれたときも死ぬときもひとり」

まったくそのとおり。

やっかいな自分からだけは逃げ出せない
「死」が解決策だとも思えない。

飲むほどに冷め
ありありと現前するリアリティー

けちな自我に潜む
極彩色の毒蛇のようにしぶとい「我」

 


「徒に」寿命が延びて
想定外の「長寿」に戸惑う現代

余分なことを考える前に
寿命がつきた時代が不幸だったと
だれが言えるか

牛の涎のような「余生」

 


まことにもって「蟷螂の斧」だが
もういちど
ちゃんと考えてみよう。

そもそも
ほとんど「無駄なあがき」
と心して。

消し難い「刷り込み」を剥ぎ取ろう

全てはいかがわしい
自分すらも

希望は淡いが
安易な絶望にも閉じるまい。

 


何かの本で読んだことがあるけど、古代インドでは世俗生活を終えてから、出家した人びとがいたらしい。
そうして、本来の自分を取り戻そうと純粋な精神生活に入ったのだという。
羨ましい贅沢だと思った。

そんな真似は到底できないけど、この身のままで、せいぜい無様にもがいておこう。
ここまで歪み汚染したら、もう「聖域」には遠いだろうが。

ただ、
本当の友人は、なるべく心を尽くして「静観」しよう
ときにそっぽを向くことも「思いやり」だろう
その場しのぎの慰めことばなど侮辱だ。

懸命に生きている人に
つまらない言葉をかけない

関係のない人に無駄話はしない。


その挙げ句
虚空を見るだけなのか
虹を垣間見ることができるのか
わからない。

ただ、
今はせめて

氷のような明晰さを研ぎたい