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「ローッキード事件」(10) 実像と虚像 


  「田中角栄の真実 弁護人から見たロッキード事件」

田中角栄の真実 弁護人から見たロッキード事件」(木村喜助著 平成12年9月 弘文堂)の主たる主張は以下の通り。

 米国裁判所に依頼した「嘱託尋問」は日本刑法上に法的根拠がないではないかという批判、被告人の自白に検察の無理強いや作為があるのではないかという疑惑、検察側が描いた金銭授受シナリオには辻褄の合わないところがあるということ、「総理大臣の職務権限」の範囲やその認定について、とても曖昧な判定がなされたということ、などを強く指摘している。
そして、そうした疑問にまったく応じない裁判所の裁定は、あまりに不合理であってとても納得できないと糾弾してやまない。
確かに素人目にも辻褄の合わない審理経過に見える。

ただし、なるほど疑問点は多いが本書だけを根拠に、私のような門外漢が即断を下すことはやはり保留すべきだろう。

 例えば、田中側弁護団と丸紅側との意思の疎通がほとんどないことも不自然だと思う。明示的には書かれていないが、丸紅側がこれを終始避けたようなフシが読み取れる。それと著者が根拠の薄弱な「アメリカ陰謀説」を引用していることも腑に落ちない。田中側弁護団は当時のアメリカの政治事情に疎かったのではないだろうか。だから「嘱託尋問」をアメリカ司法当局が手際よく短時間で受け入れたことなど、出来過ぎに見えたことだったろう。「アメリカ」をひとくくりで評価することには違和感がある。日本の国内事情が複雑であった以上に、かの国の権力構造ではもっと多様な力関係が働いたことだろう。
日本国内の政局が捜査に与えた影響の分析も必要だろう。検察とて「国家権力」の一構成単位だ。

はっきり言って、この国では三権分立の原則に基づいた「司法の独立性」がまっとうに確立されているかどうか、素人目で見てもはなはだ心許ない。この事件は最高裁の判断で決着済みなどと言われても、その「最高裁の判決」自体を素直に受け入れられない実情がある。下級審と最高裁の判例がしばしば対立しているように見えることはないだろうか。時に下級審の判決の方が、民の側からは正当に見える場合もある。
難解な法律用語も、いかにも専門家の間だけに議論を閉じようとする意図があるのかと邪推したくなる。要するに、誰のための司法なのだろうか。

 ともあれ、ロッキード裁判の場合は一審から最高裁まで弁護側にはまったく承服できない判決だったことは良く分かった。たぶん、今後も時間をかけて専門的な議論が続くのだろう。法律論まで立ち入る能力はない。

 捜査の「本線」であったという「児玉ルート」は早い段階で闇に消えた。事件の発信源であるコーチャン証言からしても、本来はこちらのほうが大きなスキャンダルになりそうだった。丸紅は表のロッキード代理人であるのに対して児玉は「秘密代理人」で、暴露された賄賂も21億円。そして、そこに民間機の導入よりもはるかに利幅の大きな闇=防衛装備品「軍用機」利権の影があると誰しもが疑った。チャンス到来と騒ぐ野党、マスコミに対して、保守陣営も権力基盤の弱い三木総理を除いて、事の真相が暴露されることを必死で忌避した姿勢が伺われる。

これを暴露されたら日米政府当局にとっては、それこそ国家体制を揺るがすような致命傷にもなりかねない。
それは戦後の日米安保体制の根幹に触れるだけでなく、戦前の軍部とつながっていた児玉のような人物の登場で、ことは戦争を挟んだ昭和史全体の闇の存在にまで到達する可能性があった。
しかし問題は尻すぼみ、裁判がだらだらと長期化するうちに国民一般の関心も低下した。

結局、巨悪はまんまと逃げおおせたのか。いわば新興勢力の田中元首相が生贄のように「出る杭を打たれた」だけなのだろうか。

ところで私が本書を精読してみて、もうひとつ心に残ったのはやはり「事実」と「真実」の違いと、マスコミ報道や「世論」などによる偏向の可能性ついて。

 例えば、著者の次のような回顧談(29ページから40まで)を引用してみよう

 「田中先生は政治・経済の現状分析が的確で今何をなすべきかを的確につかみとり、それを政策にまとめて必要な諸法律を自ら提案者として議会に提出し、立法的に解決して政策を実行することを得意とされた。・・・・・先生からはそのほかに、住宅確保に関する立法、山一証券救済、日中国交回復、シベリア開発、内外政治家の人物評、英国女王と競馬との話などいろいろ伺うことが出来た。これが私にとって何より得難い財産となった。・・・・田中先生はどんな人に対しても、まじめに応対し、人を小馬鹿にするような態度は決して見せなかった。
 また、裁判所に対しては三権の一つとして敬意を払い、法廷が蒸し暑くなって弁護人らが勝手に上衣を脱いでいても、裁判官から勧められなければ決して上着を脱がなかった。多分裁判官は背広を着ているのに自分が脱いでは悪いと思ったのであろう。そして脱いだ上着は自分で丁寧にたたんで脇に置いた。
法廷で証人尋問の際、ある証人が『自分は捜査中、証拠隠滅の嫌疑で逮捕されたが、その日はたまたま自分の誕生日で、子供たちが帰りを待っていることを考えるとたまらなかった』と証言した時、田中先生は後ろから見ていて気づくほど涙を流していた。
 五億円が目白私邸の奥座敷に搬入されたというので、その座敷を見せていただいたが、失礼ながら障子、畳、調度品などが古く、質素に暮らしておられるんだなと感じた。
検事の冒頭陳述や判決は、成功報酬につられ、トライスターの売り込みをすぐ承知して収賄したというまことに卑しい元総理の姿を描いている。しかし、長い年月その人柄に接してみてわかったが、先生は決してそのような人物ではない。政治への志は高く、人には親切に接し、心底心配してくれる人であった。金で職務を売るような人では断じてない。また金で人をひきつける人でもない。検察や裁判所が仕立て上げたような卑しい人間には人はついていかない。・・・・」(同38-40ページ)

あるいは著者と田中元首相の会話
「『先生に対し目にあまる名誉毀損報道がありますが、告訴しませんか。
いや私は総理大臣をやったものですから、自分から日本国民を罪におとすようなことは一切しません。』
先生を誹謗する著名人の中には、心得ていてさんざんこきおろしながら田中先生に電話をして『立場上、止むを得なかったのでお許し下さい』と謝る者もいたが、田中先生はすぐ許してしまう。『ひどい人ですね』と言っても『いいんだ、いいんだ』とおっしゃるだけである。人とのつき合いで田中先生は、過去にひどい目にあったこともあるようだったが、『そういう人とつき合ったということだからいいんです』と言うのみだった。私は田中先生から人を許すということを教わった。」(同36ページ)

これらをどう読むべきだろうか。

本書の趣旨は、はあくまで「ロッキード裁判」が弁護側から見ていかに不当であったかを述べることに尽きる。だから、上記のような被告人のエピソードを紹介するのは本論ではない。だが、これを敗訴した弁護士のたんなる「恨み節」と断じるのも「早計」だろう。
 善意の人であっても誤って法に触れる場合があるし、法の網をかいくぐって、のうのうと余生を全うした悪党もいるのが世の中の実態だろう。シビアに言えば正義が必ずしも勝つとは限らない。むしろ、悪党がのさばっているからこそ、社会の不条理が続くのではないか。

 著者は、巷間言われるような田中角栄像とはまったく正反対と言ってよい人物イメージを提供している。これが本当に同一人物だろうかと思うほどだが、記述の具体性からみてたぶん事実に基づいているのだろう。その部分だけ読んで、これは最近はやりの「トンデモ本」の類だったなどとハナから断じたがる向きもあるだろうが、はたしてそうだろうか。

 もちろん、長いお付き合いで情が移り、弁護士という職分を超えた被告人への感情移入はあったかもしれない。
 だとしても、そうなる理由がそこにあったのだろうと想像できないだろうか。
お人好しの弁護士さんが、海千山千の悪徳政治家にコロリとだまされたと頭から否定する根拠もない。
 ここに「事実」と「真実」の見極め方の難しさを感じる。
むしろ、一方的に押し寄せる洪水のようなマスコミ報道のほうを真に受けていたずらに興奮しない用心深さが必要ではないかと私は思う。

裁判の結果は、本書に対する有力な反論と読み比べて考えなければ、やはり公正な判断とはいえないだろうと思う。ただ、著者の眼に映った故人(田中角栄)の姿も又、ひとつの「事実」を述べているのであって、それは「真相」を窺い知るための大切な情報であることは否定出来ないのではないだろうか。

そういう視点で見ると、前後4回に分けられた5億円授受のうち、3回目の事実認定の争いのなかで、現金授受をしたとされる総理秘書官の専従運転手(いわゆる「清水ノート」)の記録から、弁護側が主張する有力なアリバイが出てきた時のエピソードは興味深い。

「・・・記者諸君は事務所や夜間自宅によく訪ねて来てくれた。はじめはあまりの田中(角栄)つぶしの激しさに、弁護団ではこちらからも積極的によい情報を提供しようということから質問に応じていた。しかし、何を言っても取り上げないので、一切応対するなという方針に変わった。しかし、寒い夜なども長時間遠くで張り込んで待っていて、風呂場の電気がついたから帰宅した(だ)ろうと訪問されると、つい気の毒で追い返すわけにもいかず上ってもらったりした。
その際、いろいろ話がでて記者の諸君が、
『アリバイは凄いですね。特に三回目(ホテルオークラでの1億2500万円の授受)は間違いなく無罪でしょうね』と言うので、
『何でそれを書かないんだ』
と聞くと
『いやデスクが通らないんです』
など言う。気を引くための発言とも思えないほど的確な意見を言うので、こちらも何とか書いてもらおうとよい材料を提供してもついにそのようなことは書かれなかった」(同91-2ページ)
という回顧は、かなり現場の事実を述べているのだと思う。もちろ、記者たちも記事ネタが欲しいからリップサービスをしたことだろう。

 若い一線の記者の素直な眼で見た「事実」のうち、デスクの意図にかなう筋書きしかニュースにならないという「現実」があるらしい。記事や映像は「事実」かもしれないが、ある編集意図に沿って事実の一部を切り取って編集(再構成)したものだとクールに見るくらいの注意深さが必要だと思う。「デスク」という「ろ過機」を通さなければ情報は表に出ない。ありのままの事実を羅列するのではなくて、どう「ひねるか」に記者は腐心しているのだろう。
映像でも、どういう部分を切り取って張り合わせるかで印象が大きくことなる。

なにも「デスク」だけが悪いとは言えない。そういう「空気」や「圧力」がくせものだと思う。そして世の中の「大勢」への同調圧力にはなかなか抗しきれない。

そしてたぶん、多くの若い記者たちも出世コース競争のなかで「空気」に飼いならされていくのだろうか。

 こういう圧倒的に不利な状況のなかで奮闘努力の甲斐なく「田中有罪」が確定してしまったとしたら、弁護士としてはこれ以上の無念さはないだろう、ということになる。
その切歯扼腕の思いが
「弁護士として、裁判以外で事件について語ってよいものだろうかと迷い」があったが、「世論に押しつぶされたような事件で、当時、弁護側の主張は正しく報道されることはほとんどなかった。それどころか、『何を言うか』と反論するのがマスコミであった。」
ので、
「百年に一人と言われる政治家のこの裁判における真実を伝えたいという思いから、何らかの形でまとめてみることを決意した。」(同あとがき233ページ)
動機につながったと読み取れる。

 結局、裁判はマスコミによって作られた「世論」との戦いという側面もあった可能性は否定できないのではないだろうか。漠然とだが、あの時代の雰囲気を一人の無名の大学生として見聞きした自分の直感にも思い当たるフシがある。

ところで、皮肉に聞こえるかもしれないが、ニュースを見たり読んだりすればするほど、却って世の中の真相がますますわからなくなるような印象にとらわれたことはないだろうか。大きな事件も、連日の報道を追ううちに分けがわからなくなることがよくある。
 しかも、誰しもが同じような興奮状態に陥るような出来事にこそ落とし穴がある。
これを一定の方向に「誘導」しようとする手合もいるだろう。その情報操作の手法もますます巧妙化していることだろう。
 よくニュースで「関係者によると」などという枕詞が多用されるが、刑事事件でも当局のリーク情報である場合が多いと思う。発信元の世論誘導の意図が隠されているかもしれない。情報源は秘匿されなくてはならないだろうが、マスコミと当局がズブズブの「共犯関係」では本末転倒になる。

 著者の回想の中で元首相がこう答えていることが興味深く心に残った。

「・・・私は夜9時頃には寝ます。目を通す必要がある書類、筆記用具や見たい書物は枕もとに置いておき、二時頃に目を覚ましいてから読み、必用なことをメモし、処理します。朝は5時頃起き出して6時のテレビニュースはかならず見ます。この時間のものはデスクのチェックがあまり入らないので、とんでもないものもでてきます。新聞はだいたい目を通しますが、見出しだけ見て大体わかります。」(同34ページ)

多忙な立場の人にとっては、どの紙面やどの局のニュースもそう変わり映えしないのなら、これで良いのだろう。自分を一方的に断罪してきたマスコミ報道への意趣返しの発言ではもちろんない。

局面は違うが昭和初期の日本も、異様な興奮状態のなかで冷静な慎重論や異論が圧殺された。そのあげくに皆が一致して愚劣な戦争に突っ込み、史上空前の破局を招いたのだった。
 その反省から戦後を出発したはずだが、日本人が同じことを繰り返さない保証はないのではないか。