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ヒトラーの最後               ドイツ・ファシズムとは(1)

 私が高校1年生のときだったかと思うが、「現代国語」の先生が授業をまるまる潰して教職員組合のストライキの理由を生徒に説明したことがあった。昭和43、4年頃だった。

今から考えると、公立の高等学校なのによくもあんなことができたものだなと思うが、それほど教職員組合の力が強かったのだろう。授業は第一時限だったと思う。
朝いちの授業なので、私は寝坊してよく遅刻した。ある日などは肝心の現代国語の教科書まで忘れて、さすがにこのときは教師から厳しく叱られた。いわく「遅刻はするわ、教科書は忘れるわ。態度が悪い!不届き千万!」という具合。

正直に告白すると、私は国語が嫌いで、ついでにこの先生も嫌いなタイプだった。だから授業も面白くなかったのだろう。内容はほとんど記憶にない。
弁解になるが、なんのために国語を勉強するのか、理由がよくわからなかった。読み書きができて日本人どうしで意志の疎通ができれば、それで充分ではないかと思っていた。
その頃の私には、なぜ国語が「学科」になっているのか、わからななかった。しかも必須の受験科目だから、なおさら勉強は苦痛だった。

そんな「現代国語」だから、先生自らのストライキの弁明のために、授業をまるまる潰して脱線してくれた「快挙」だけは記憶に残った。
その時の話のなかで、どういう脈絡で語られたのか詳細は忘れたが、先生から初めて「ネオ・ナチズム」という言葉を教えてもらった。

組合活動に熱心に従事されていた、この先生の氏名もとっくに忘れたが、
「いまや危険なファシズムが復活しつつあり、すでにドイツ本国でも『ネオ・ナチ』が選挙のたびに票を増やしている。とても危険な兆候がある。」
というような趣旨は記憶に残った。たぶん先生は私たち生徒に社会動向への「警鐘」を鳴らしたつもりだったのだろう。ついでにストライキを正当化したのだ。

まだあの頃は学校の先生には相応の権威があった。ましてや授業だから、教師の側に強い「磁場」の働く力関係のなかで一方的な政治談議を生徒に施されたことは、今考えても、あまり公平とは思えない。ただし、私にとっては「ナチズム」というものの危険性について、初めて話を聞く機会だったことは認めて良いのかもしれない。

もうひとつ、これは中学生のときの理科の先生から教えてもらったユダヤ人虐殺の話。
殺したユダヤ人の体毛から毛布を、人体の脂肪分から石鹸までナチは作ったという、おどろおどろしいエピソードを聞いたことも記憶にある。真偽のほどはよく知らないが、あまりに残酷なので強い印象が残った。

ヒトラー

しかしそのときから今日まで、ドイツにファシズムが「復活」してネオ・ナチズムが支配的な勢力になった、などという話はついぞなかった。

私の大学時代の友人でドイツ語学科を卒業するや否やドイツに赴き、商社マンとして働きやがて永住してしまった人がいる。今はウイーンに住んでいる。
その友人からアドルフ・ヒトラーがオーストリア生まれだと聞いて、「ドイツ生まれではなかったのか」などと思ったくらい、私自身はかの国の歴史事情に疎い。
むしろ、あの現代国語の先生の頃には予想もしなかった、中東難民の受け入れをめぐってドイツ国内はじめEU各国に排外主義的な右派が台頭しつつある、というのが最近の事情らしい。

中東難民
中東難民

映画「ヒトラー最後の12日間」を観て、なんという異様な狂人に全権を託してしまった政治体制なのだろうか、きっと戦後処理には苦労しただろうなと思い、素人作業ながらあれこれ調べてみた。日本もまたアジア・太平洋の人々に筆舌に尽くせない苦しみ与えたのだから、決して他人事ではないように思う。かつての「同盟国」の子孫としての関心が湧いたからだ。

そのなかで、NHKで放映されたイギリスのドキュメンタリー番組によると、1945年4月にヒトラーが自殺を遂げるまでの最後の日々について、当時の側近たちが戦後証言したインタビュー記録が近年アメリカの大学で発見されたことを知った。陥落直前のベルリンの地下壕にこもった独裁者のみじめな晩年が、生き残った人びとの証言とリアルなドラマで再現された。
若き日の「トラウデル・ユンゲ」も証言者として登場している。全体として、やはり映画「ヒトラー最後の12日間」とほぼ一致していた。映画は史実を忠実に再現したことがわかる。

証言するトラウデル・ユンゲ
証言するトラウデル・ユンゲ

その映画のもとになった ヨアヒム・フェストの「ヒトラー最後の12日間」(2005年岩波書店)も読んでみた。

ヒトラーやナチズムをめぐる「歴史認識」について、ドイツでも深刻な論争が戦後長く続いて来たことが良くわかった。同著もまたナチズムの真相を伝えるための、ひとつの試みであることは間違いない。

「・・・・最後の時にヒトラーの決断を支えていた冷血、世界から離反した破壊意思、オペラ風の情念。これらの結びつきは、ヒトラーのきわめて特異な本質について多くのことを教えてくれる。最後の数週間、彼はそれまでにもまして世界から自分を隔離した。ヒトラーを生涯にわたって駆り立ててきたものの出所を、このときの行動ほど正確に照らし出しているものはほかにない。すべてがもう一度濃縮され、高められ、一つとなった。すなわち世界に対する憎悪、年少時から身につけた思考パターンの硬直性、想像を絶するものへの愛着。それは、すべてが水泡に帰す以前には、ヒトラーのあいつぐ成功を支えてきたものだった。しかし、彼が生涯追い続けてきた巨大スペクタクルの一つは、このあともなお、そしてひょっとするとこれまで以上に大々的に実現されようとしていた。」(同)

「ヒトラー最後の12日間」に焦点を定めたのは、ここにこそヒトラーの狂気が集中的に現われていて、そこにナチズムの本質を解明するカギがあるのだと著者が考えたからなのだろう。