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方丈記雑感(4)・ひたすら逃避の「発心集」

角川ソフィア文庫新版「鴨長明撰 発心集 下」(平成26年3月刊)の解説によると

「・・・・『方丈記』には鴨長明の生涯のあらましが綴られている。それゆえ、『方丈記』は自伝的文学と評されることが多い。一方、この『発心集』には長明の情念が表出し、色濃くにじみ出ている。『方丈記』が長明の自伝的な作品だとすれば、この『発心集』は長明の自画像的な作品ということができるかもしれない。」(同著339ページ)
と解説されている。
『発心集』と『方丈記』の執筆時期の前後関係は不明らしいが、『発心集』の執筆意図は、その序文に明確なかたちで述べられている。

「・・・仏の教え給へることあり。
『心の師とはなるとも、心を師とすることなかれ』と。
まことなるかな、この言。」(同上巻13ページ)

「・・・・鴨長明のこの撰述方針は明快で、全編にわたって貫かれている。揺れ動く心をどうするか、これが『発心集』の命題なのである。集中、長明は実に様々な心を取り上げる。執心、悪心、欲心、争心、着心、慢心、妬心。長明はその一つ一つの心を直視し、見据え、そこに人間の偽らない本当の姿を見ようとした。・・・・」(発心集 下 330ページ)

「人、一期(いちご)過ぐるあひだに、思ひと思ふわざ、悪業にあらずといふことなし。もし形をやつし、衣を染めて、世の塵にけがれざる人すら、そとも(家の外)の鹿つなぎ難く、家の犬常になれたり。いかにいはんや、因果の理を知らず、名利の誤りにしづめるをや。むなしく五欲のきづなにひかれて、つひに奈落の底に入なんとす。心あらん人、誰かこのことを恐れざらんや。」(発心集 上 13ページ)
善心を戸外に遊ぶ鹿(繋ぎとめがたい)、悪心を家内にいて人につきまとう飼い犬に例える表現は、当時の人々の暮らしぶりを踏まえた巧みな比喩だと思う。人の心は統御しがたく、縁に触れてついつい悪行を重ねてしまうという。

確かに種々の我執に捕らわれやすく、そのため荒れ狂う人の心の有様を、鴨長明は仔細に分析し問題(=悪業の顕現)にしているのだと思う。
しかし、ハナからこれを制御不能と諦めてやや極端な悲観論を展開しているのではないだろうか。「悪業にあらずといふ事なし」とまで断定している筆致には飛躍、決めつけがあると思う。
まず「心」の所作を悪業そのものと一方的に結論づけているが、それは人間性の一面に偏った考え方だと思う。長明の意図は出家を優先するのためであって、その口実になってしまっているのではないだろうか。これでは「出家」の動機が軽薄になってしまう。

もしこれが長明の自画像だとすると、猟官に恵まれなかった長明の僻み根性や愚痴が投影されているのかもしれない。自分の非を認めるよりは、「出家」を隠れ蓑に閉じこもってしまったほうが楽かもしれない。
ひとりで生きるので、生活上の様々な苦労に直面するが、そもそも心根が恨みに固まっているから尚更意地になる。

こうしたポーズ優先の出家なので、世俗への未練が「方丈記」全体に自己弁護の響きと転化、これを美文で粉飾するという次第になってしまった、と言えば厳しすぎるだろうか。私には「偽善」の気配すら感じる。

「かつ自心をはかるに、善をそむくにもあらず、悪を離るゝにもあらず、風のまへの草のなびきやすきがごとく、また浪(なみ)のうへの月の、しづまり難きに似たり。いかにしてか、かく愚かなる心を教へんとする。」(同14ページ)
情に流されやすく弱い心は、情緒の波間を浮遊する。むしろ、溜息をついている風ですらある。
実際、長明の姿を観察して「さほどこはごはしき(強情な)心」(源家長日記)
と評した同時代の記録もあるらしい。

そして「発心集」では恨みに狂う「愚かなる心」から、一気に飛躍して弥陀の救済にすがりつくのだが、ここには論理を追求した痕はない。
むしろ手を変え品を変えて様々な出離得道のエピソードを陳列し、ひたすら世を厭い淨土に往生する事ばかりを願う。

「・・・・かゝれば、事にふれて、我が心のはかなく愚かなることをかへりみて、かの仏の教へのまゝに、心を許さずして、このたび生死を離れて、とく淨土に生まれん事、たとへば牧士の荒たる駒をしたがへて、遠き境にいたるがごとし。」(同13~4ページ)
荒れる人の心を暴れる馬に例える比喩などは見事な表現だと思うが、心の弱さだけを一方的に強調しているに過ぎない。仏道を求めるといっても、その実はいじけた自分をそのまま肯定してもらう依頼心がもっぱらで、そこには安易な甘えが窺われる。

琵琶を奏でる長明

つまり自分自身との内面的な格闘はほとんど捨象されている。これでは却って人間の価値をいたずらに貶めることになりはしないか。
長明は心の安寧を詩歌管絃の芸で得たようだ。その方面ではかなりの才能を発揮したようなので、それがまた自閉の殻を固くしたのだろう。こうなると悪循環に苦しむ。生命力の衰弱を表しているのではないだろうか。

だから、仏道修行とは長明にあっては人嫌いの庵室生活に籠もることに尽きる。かくして社会的な責任(家族も捨てたのかもしれない)を全面放棄し、あとは浄土に生まれることだけを願うという閉じた晩年になった。
案外、この時代の貴族には多い類型なのかもしれない。

これでは「発心」とは名ばかりで「逃避の自己正当化」。だから、「極楽往生」とはこの場合、ある種の独りよがり(=幻想)になりかねない。
座ったまま往生する篤信者の姿を念仏者の理想像のようにしているが、これほど無為な死に方を推奨する思想は病んですらいると思える。戦や疫病、餓死などで苦しんで死んだ人が多かったからだろうか。かなり暗い。

確かに「長明は人間の心のおぞましさを知悉していた。」(同下巻334ページ)「(嫉妬心で)親指が蛇と変じた母親、橘の実を食い尽くす小虫へと生まれ変わった老女。その執心の強さは肉体をも変形させ、他生の身となっても鬱念を晴らさないではいられない。」(発心集 下 334ページ)
人の心のおぞましさに眼をつぶる意図はないが、だからといって妄念や悪心だけで世界が埋め尽くされているわけでもないだろう。人間界には、素晴らしい輝きや感激を発見することもある。生きることを積極的に肯定しても良い理由はいっぱいある。
そうでなければ生命の価値や尊重につながる希望は生み出せない。
確かに日本の古典なのだろうが、未来のある若い世代に推奨するには抵抗感を禁じ得ない。

「仏は、衆生の心のさま/”\なるをかゞみ給ひて、因縁・譬喩をもつて、こしらへ教へたまふ。我ら、仏にあひ奉らましかば、いかなる法につけてか、すゝめ給はまし。他心智(たしんち)[他の人の心を悟ることの出来る智恵]も得ざれば、たゞ我が分にのみ理を知り、愚かなるを教ふる、方便はかけたり。所説たへなれども、得るところは益少なきかな。これにより、短き心を顧みて、ことさらに深き御法(みのり)を求めず。」(上14ページ)
仏説は衆生の機根に合わせて様々な教えを説くが、こちら側の受容能力に限界があるから「所説たへなれども、得るところは益少なきかな。」という具合に「諦め」を全面に押し出す。
「末法思想」を疑問の余地のない前提にしているようだが、こうした悲観一辺倒の発想はどうも根拠がよくわからない。
なるほど仏説を尊重しているようだがその実は体の良い「棚上げ」。そして生きる困難を避けているのだから、これはある面で不遜な態度ではないだろうか。

 「はかなく見る事、聞く事を記し集(あつ)めつゝ、しのびに座の右に置けることあり。すなはち、かしこきを見ては、及びがたくとも、こひ願ふ縁とし、愚かなるを見ては、みづから改むる仲立ちとせんとなり。今これを言ふに、天竺・震旦(しんだん)[=中国]の伝へ聞くは、遠ければ書かず。仏・菩薩の因縁は、分に耐へざれば、これを残せり。」(同15ページ)
一応謙虚さを装ってはいるものの、あっさりと仏説の核心部分を退けた。

 「たゞ、我が国の人のみ、身近きをさきとして、うけ給る言の葉をのみ記す。されば、さだめて誤りは多く、真は少なからん。もしまた、二たび問ふに便りなきをば、ところの名、人の名を記さず。いはゞ、雲を取り、風をむすべるがごとし。誰れ人か、これをもちひん。しかあれど人、信ぜよとにもあらねば、必ずしも確かなる跡をたづねず。道のほとりのあだことの中に、我が一念の発心をたのしむばかりにや、といへり。」(15ページ)
「出家」という仏道上の大事を美文で推奨する割には、得道は心もとない。
実は「世捨て」だけが目的なのであって、あとは阿弥陀の本願にお任せするだけというのではあまりに安易だと思う。
意気地のない小さな了見を巧妙にカモフラージュしているのではないかと疑うのは、言い過ぎだろうか。

 騒乱や自然災害の頻発する世にあって、ひたすら自分の保身遁世だけを乞い願う逃避。出家と称して、その実都合の良い仏教解釈で居直る有様には、やはり精神の退嬰を指摘せざるを得ない。