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「ローッキード事件」(5) 米国小委員会からの証言

さて、「秘密解除ロッキード事件」が指摘する通り、冷戦構造の中で日本を「反共の橋頭堡」に仕立てようというアメリカのシナリオに沿うように保守政党が合同され、55年以来その政権がアメリカの意向を「忖度」しながら国政を担ってきたとすると、戦後政治のスタイルに素朴な疑問が浮上するだろう。
いったい誰のための政治なのか。

しかも、冷戦がとうに終結した今になっても、まだだらだらと生き延びている保守政治の惰性。その「賞味期限」に疑問が生じるのは自然だろう。
なぜかくもすっきりしない梅雨空のような政治的「停滞前線」が続くのだろうか。本当に「戦後は終わって」いるのだろうか。

「・・・・もう一つの『避けるべき問題』は『CIA』だった。」
米側の記録によれば、ロッキード事件当時の駐日大使ホジソンは
「私企業の行為を問題にするのと、米国の政府機関の行為を問題にするのとでは大いに異なる」として三木首相に注意を促したという。(同221ページ)
つまり、そこは触るなという「警告」だろう。まるで「宗主国」の言い分だ。
日本は主権国家扱いされていない。多くの日本政府関係者もそれを当然のこととしているようにすら見える。
これこそ「敗戦」の負の遺産ではないだろうか。「戦後レジームの変革」を謳うなら、こっちのほうがよほど本質的な課題に見える。つまり日本の保守政権のほうがよほど「戦後レジーム」の正体ではないかと思う。

民間企業のロッキード社と違って、CIAはれっきとしたアメリカの国家機関だ。ところが消息筋の分析ではロッキード社とCIAは、かなり深い根っこ部分で協力関係にあるようだ。軍事大国の情報機関と軍需産業なのだから、当然あり得る。もちろん、表向きは無関係を装っている。

あのころ、素人ながら漠然と「田中角栄の金脈事件」という文脈だけに「ロッキード事件」が意図的に誘導されていくような気配を感じたことが、あながち的外れではなかったように思われた。

その後、政治にお金がかかり過ぎるという理由で「政治改革」がいっとき叫ばれたこともあったが、その選挙制度改革の成果を主権者が享受していると言えるだろうか。日本の場合、三権分立が不十分なのか、司法判断がいかにも政権寄りで中途半端なこともあって、一票の格差是正も遅々としてはかどらない。「高度な政治的判断」などという言葉に逃げ込む。
小選挙区制度ではむしろ政治への期待がますます萎んできたのではないだろうか。政治家の著しい「劣化」も指摘されて久しい。

公文書を改竄したことが発覚しても国民に納得のゆく原因追求はおろか、まともに責任も問われないような行政は明らかに不誠実だ。一定の時期を経て公的な情報がきちんと秘密解除される国家のほうがはるかに「健全」だろう。そこには納税者への義務感があるだけでなく、歴史の検証に向き合おうという真面目な姿勢があると思う。

本テーマに戻り、ここまで露わになった戦後政治の不明朗な裏事情を考慮すると、あの「ロッキード事件」の始末の仕方はやはり大きな課題が残ったと思う。戦後日米関係の深層にある「不都合な真相」が垣間見えたので、これ以上国民に知られては日米政府ともに困るという思惑が、この時期大いに裏で働いたのではないかと推測できるからだ。

この不徹底さが象徴しているように、最高権力者を追い詰め辞任させた「ウオーターゲート事件」のようなアメリカのジャーナリズムの骨太さ、民主主義の底堅さ比べて、日本はいかにも貧弱ではなかったか。

やはり日本の政治事情は「アメリカ次第」に見える。

「・・・・まず言えるのは、ニクソンが大統領だったから、田中が逮捕されることになった、ということだ。・・・・ウォーターゲート事件の捜査がなければ、ノースロップ社の闇献金が表沙汰になることはなかっただろうし、上院や証券取引委員会の調査に米国民の支持が寄せられることもなかっただろう。米国で田中はニクソンと同類であるとみなされた。」(同278ページ)

そして、当時ニクソン政権で有力な政治的立場にあったキッシンジャーについて
「最近になって秘密指定を解除された国務省内部での会話の記録を見ると、キッシンジャーがもっとも痛烈な言葉を浴びせていた先が日本の首相・田中角栄とチャーチ小委員会スタッフのレビンソンだったことがわかる。
ロッキード事件を暴かれた側と暴いた側の双方をキッシンジャーは激しく嫌っていた。キッシンジャーからすれば毒をもって毒を制する結果になった。これは、何かを暗示している、ように見えなくもない。」(同278-9ページ)
と思わせぶりに記している。

著者は断言を慎重に避けている。
私流に拡張解釈すれば、アメリカから育てられた「聞き分けの良い」保守政治家であれば田中角栄元首相は助けてもらえたかもしれないという含意にも読み取れる。
もちろん、あくまで推測の域をでない。

一方、キッシンジャーから嫌われたという、もうひとりのチャーチ小委員会の主席法律顧問レビンソンへのインタビュー記事(第8章)は同氏が当事者として勇敢に追求の先頭に立った人だけに、とても説得力のある証言を得ている。

それよるとこの小委員会は「大統領選に向けたチャーチ議員のパフォーマンスだとの批判が出るほど、それは脚光を浴びた」(同255ページ)が、そのなかでレビンソンらがアメリカの対日外交で特に注目したのは、日本の児玉誉士夫の存在だったという。

「第2次世界大戦で我々が戦った相手の中でも最悪の相手が児玉のような人間です。その児玉を通じて日本の政界にカネが流れたとの疑惑が明らかになり、それがワシントンの人々にとってショックだったのです」(同257ページ)
「ロッキードが児玉にカネを払ったのは、純粋な商売目的だったのか、それとも、右翼を生き残らせることが米国の外交政策に資すると考えたからだったのか。・・・・」(同)
「・・・・レビンソンの話しによれば、委員会のチャーチと共和党筆頭議員のケースの二人は、ものごとを隠すのではなく、公聴会を開き、できるだけ多くを公表するという小委員会方針を採った。それまで議論の対象になっていなかったことを公表しようと努めた」(同259ページ)
「レビンソンはチャーチとケース(小委員会の共和党側上院議員 筆者注)に進言したという。『この状況(ニクソン弾劾 筆者注)を利用して、できる限りの多くを公表しましょう。企業と情報機関のつながりを暴露できるチャンスはもう二度とないでしょうから』
『アメリカの外交政策を本当につくっているのはだれなのか、という疑問があります。米政府が企業を使っているのか、企業が政府をつかっているのか。互恵的な関係があります。だれがだれを使っているのか。何が見返りなのか、あるいは、単に利害が並行しているだけなのか』
実際、こうした議論ができたのはウォーターゲート直後だけで、そのほかは後にも先にもない。
『もし、ウォーターゲートがなかったならば、わたしたちが実際やったように公表することはできなかったでしょう』」(259-61ページ)

民主主義の先進国アメリカですら、権力の不正を追求することがかなり至難のわざであることを伺わせる。当然のことながら、レビンソンの活動には様々な妨害が起きたようだ。
「航空機の売り込みだけではなく、小委員会が、米国の対日政策の暗部に踏み込んでいこうとしているとの懸念が生まれ、(親委員会である 筆者注)外交委員会に大きな圧力がかかったのではないか━━。レビンソンはそう推測する。
『今となっては、私はそれを証明するすべがありません。推測できるだけです。私の感触としては、私たちはあまりに近づきすぎた。彼らが許容できないくらいに近づき過ぎた。ここで「彼ら」というのは、米政府、CIAといった国家安全保障複合体のことですが、彼らはロッキードの役割を明るみに出されることを許容できなかった。私たちの調査が米政府の果たした役割に近づくにつれて、とてもセンシティヴになっていきました。』」(同264ページ)
ニクソンの場合も「国家安全保障」をたてにウォーターゲート事件のもみ消しをはかったのだった。

『公然と圧力がかかったわけではありません。だれかがやめろと私に言ったわけではありません。しかし、突然、多くの上院議員たちが、小委員会の調査継続を妨げようとするようになったのです。・・・・以前と同じように自由に運営することが突然できなくなりました。・・・』」(同267ページ)
こうして76年春には小委員会に「やる気」が失せ、秋には同委員会は消滅した。チャーチ議員自身も大統領選への運動に傾倒していった。レビンソンの足場がなくなったのだ。
「『わたしたちは最終報告書をまとめることを許されなかったのです。』」(同267ページ)
「チャーチ小委員会は、行けるところまで突き進んだ。ロッキードから児玉にカネが流れたことを明らかにした。しかし、CIAとの関係ははっきりしないままだった。占領終了間もない時期の日本に対する米国の政策と自民党の関係が疑問として残された。」(同268ページ)
2009年、78歳となったレビンソンは「ロッキード事件」について日本の新聞記者である著者のインタビューにこう語っている。

「『日本が20年にわたって日本の司法システムの中でこの事件を追求し、有罪の結論を導き出したことに私は感銘を受けました。ただ、私が疑問に思っているのは、児玉のような仲介人を扱う日本政治の黒い霧は晴れたのか、ということです』
『根本的な部分が本当に変わったのですか。私は疑問に感じています。』」(同270ページ)
ここではレビンソンの言葉に仮託して著者の、ひいては朝日新聞の戦後政治への疑問を滲ませたのだろう。

レビンソンの指摘のとおり、ロッキード問題やCIAの日本工作を追求することに不徹底だったことが、そのまま今日の日本の政治的な「停滞」につながっている、という見方も浮上するのだろうと思う。著者はこう断言する。

「米国に楯突けば何らかの謀略で失脚させられ、政治的に葬り去られるのではないかという恐怖、米国を敵に回すことをタブーとする思考が、少なからぬ数の日本人政治家の潜在意識の底に沈殿した。これは紛れもない事実だ。」(同279ページ)

負け犬は強い相手に遭遇すると、たちまち尻尾を垂らしてうなだれる。子供の頃、犬を飼っていて、よく観察した光景だ。戦後日本の保守政治の姿と二重写しになる。

今、本書のすべてをそのまま受け売りする意図はないが、後味の良くない読後感だった。