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ロッキード事件(15)  ぎりぎりの局面

日米司法制度の違い

4月上旬に、米側から鳴り物入りでやっと届いた35綴りもの「資料」の検討は19日に終了したが、その内容は日本での立件にとってはかなり不十分だった。しかも時効は同年8月上旬。検察陣は追い詰められていた。
迫る期限までに、なんとしても捜査の成果を出さなくてはならない。そのためには日本側の捜査と並行して米国の裁判所に依頼して「嘱託尋問」を実現しコーチャンらの証言を取らなくては、「政府高官」の容疑は固まらない。国民世論の検察への期待もかつてなく重い。その矛先は田中角栄元首相その人だった。

 一方、米国では同月9日と12日にSEC(米国証券取引委員会)が上院外交委員会(チャーチ委員会)とは別にコーチャンを取り調べており、その宣誓供述書をもらうため堀田氏は5月4日に米国司法省を極秘で訪れ、待ちきれなくてその場で必死の思いで読んだ。
「私は、眼の前に虹が現れたと感じた。調書には、これまでの資料から推測していたとおりの事実が、大まかな筋だけながら述べられていたのである。
 コーチャンは、ピーナツ・ピーシーズ(「賄賂」の暗号)の金五億円が、『自民党の総裁レベルの人』のところへ行ったと思うと言っている。ついに、田中と五億円が結びついた!五億円の意味がわかった!!とぼんやりながらも、筋道が浮かんできたのである。」
(同書「上」193ページ)
「もちろん、この宣誓供述調書では、田中や名前の上がっている政府高官たちを有罪にするには、足りない」
(同194ページ)
「これは、嘱託尋問をする、よい手持ち資料になる」(同)
しかし、ここからの道のりがこれまたまた悪戦苦闘の連続だった。

 「『アメリカには、刑事免責という制度があるからね。刑事免責をするのは司法長官じきじきの判断で、司法省の内部手続きは大変なんだけれども、ともかく、刑事免責すれば、黙秘権は消滅するから、証人はしゃべらないと処罰されることになる。だけどもきみの国には、刑事免責の制度がないというんだから、コーチャンらが、日本国憲法上の黙秘権を行使します、と言ったら、それでおしまいじゃないの。』
『ちょっと待ってくれよ。ボブ。日本でも刑事免責はできるんだ。』私はあわてて言った。」(同「上」204ページ)
米側検事とのやり取りが興味深い。

アメリカ司法制度にはあったが、当時の日本側にはなかった「刑事免責」という制度。米国法廷で嘱託尋問をしてもらってコーチャンらの供述を取るにはどうしても必要だった。
この食い違いをどう乗り越えるか。伝統的に検事の権限が強い日本と、むしろ裁判官のほうにより大きな権限が認められている米国との法制度の違いが背景にあった。堀田氏は、なんとかわかってもらうための説明をする。
 「歴史だよ。きみの国では、建国以来裁判官はだんぜん偉くて大きな権限を与えられているのに対し、検事のほうは弁護士と対等で、証拠を集めて起訴し、裁判官の判断を求める行政官だと認識されている。だから裁判官は、ベテランの検事か弁護士の中から任命される。州では、選挙のところもある。国民の信頼感も、裁判官と検事では全然違う。
日本では、戦前は、検事の地位は弁護士より高く、むしろ裁判官に近かったし、裁判でも裁判官と並んで檀の上にいた。そして、司法省の検事たちが裁判所を監督していたんだ。そういう官僚優先の非民主的な構造だったから、検事が、その判断で起訴、不起訴を決めるのは当然と受け止められていて、それが、戦後も引き継がれてきている。・・・・法律家も国民も、それを当然と思っている。」(同「上」207ページ)

私自身もまったく知らなかったが、これは日本国内の事情だけ見ていてはわからない。一つの捜査を日米で協力して行う作業のなかだからこそ浮き彫りになった大きな違いだ。
それは、堀田氏の指摘通り、国情や歴史の違いを反映しているのだろう。
簡単に言えば、日本の「検事さん」は封建的伝統を反映していてアメリカのそれよりも権力が大きてく権威的なのだ。
これは日本の司法制度の特徴であり、看過できない問題点なのだろう。今、起きている日産の「ゴーン事件」でも、きっとこうしたたぐいの国情の違いからくる「落差」との格闘があるに違いない。

堀田氏ら日本側は、米国の「刑事免責」と同じ効果を発揮しうる日本の司法手続きが、検事による「起訴猶予処分」なのだと説得を試みた。
しかし、アメリカ人にとっては
「『それは、きみの言う通りだよ。だけど、(ロッキード社)弁護人たちも、ひょっとすると裁判官も、いまは、刑事免責は法律に定められた手続きによって行うという事態に慣れててしまっているから、きみの国が刑事免責法なしに刑事免責をするとなると、相当に首をかしげるだろうな』」(同「上」207ページ)

この感覚の違いは大きい。これが最後まで大きな争点として堀田氏らを苦しめた。
 「刑事免責法」の有無という両国の司法制度の表面上の違いはあるものの、日本の検事による「起訴猶予」処置が同等の効果を持つということを米国の裁判官に理解してもらい、これによって米国の裁判所で嘱託尋問を実現することは大変な作業だった。そのためにはまずは米側の検事にも日本司法の特徴を理解納得してもらい、裁判で全面協力してもらわねばならない。 それはよく考えると、実は文化的な差異をどう乗り越えるかというひとつのケース・スタディでもある。
 しかもそこに嘱託尋問の可否がかかっている。まずは日米検察陣の脇を固めなくてはならない。 なぜなら嘱託尋問は米国検事にしてもらうからだ。
 そのうえで、ロッキード社側が選りすぐった顧問弁護士との、巧緻にたけた法廷論争に打ち勝たねばならない。
堀田氏自身も証言台に立ちロッキード社側弁護士から尋問を受けた。とてもテクニカルな一問一答方式で、言葉の壁もある。気が付いたら相手側にポイントを稼がれたうえ、こっちはとんでもない落とし穴に突き落とされかねない。
これはすぐれて知的な神経戦となった。

詳細は本書に譲るとして、この息詰まるようなぎりぎりの攻防戦が時効の壁の前に立ちはだかっていた。
そして、今度は日本の刑法でいう「単純収賄」と「受託収賄」の違いが時効時期の違いに直結するという「弱点」を、ロッキード社側弁護士から衝かれたらどうするかということも苦しい難問であった。
米側の女性検事が言う
「・・・・『でも、この論争、正直言ってしたくないわね。ほかの争点だって、勝てるかどうかわからないのに、それよりずっと分が悪いと思うわ』
(同書「下」55ページ)

 大詰めとなってきた日本側捜査の指揮をとる吉永氏から、国際電話(インターネットなどなかった)で「嘱託尋問」はまだかまだかの督促。
「『こちらは、そちら抜きの操作手順を立てざるを得ない。しかし、なんとしても、こちらの捜査にまに合わせてくれ。つまり、収賄罪にかかる前に、なんとしても証人尋問調書がほしいのだ』」(同「下」43ページ)
堀田氏自身もいよいよ異国の地で孤独な土壇場に追い詰められた。
「その夜、私は眠れなかった。『もし負けたら』という不安が黒く重く全身にのしかかって、じっとしていても冷たい汗がにじみ、のどが渇いて心臓がドキドキする。外を走り回らないといたたまれないほど息苦しくて、この苦しさからのがれるために手首を切りたいという誘惑にかられる。
もう6月下旬が目の前に来ているというのに確たる見通しが開けないどころか、弁護人たちが、次々に打ち出してくる手続きの壁が幾重にも立ちはだかり、どこかでこばまれそうである。一つでも壁が破れなければ、それですべてが終わりになる。」(同書「下」55-6ページ)
まさに薄氷を踏む毎日だっただろう。

長い社会人生活のなかで、だれしも大なり小なり業務上できわどい局面に遭遇する場合があるだろう。そのギリギリのところで
「冷や汗、心臓の動機、外を走りたくなる、手首を切りたい」
などという心理状態にまで追い詰められる場合があるのだろうと思う。
とてもリアリティーがある。本書の読み応えはここにもあると思う。
仕事の上で、深刻な局面に追い詰められた時の、取るべき態度を考えるために。