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「アンコールワットと私」  石澤良昭著

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  あの広大なアンコール遺跡の魅力は、実際にその場に行って体感しないとなかなか実感がつかめないのかもしれない。「世界遺産」のひとつであることはうすうす知っていても、なぜカンボジアの熱帯の奥地にこのような大規模な石造建築物の遺跡があるのか、誰がこれをつくり、それがどんな歴史的文化的な価値や意味を持つのか、多くの日本人に広く知られているとは言い難いだろう。それは私自身も御多聞に漏れない。
 90年代前半だったと思うが、使わなくなった古いラジオをカンボジアに送ろうというボイスエイド・キャンペーンの呼びかけに応じて少しだけコミットした経験がある。国家再建のためUNTAC(国連暫定統治機構)による総選挙を実施することになり、その協力になるから、という理由だったことをうっすらと記憶している。
 しかし当時の私自身はカンボジアの国情についてあまり知識がなかった。ともかく悲惨な内戦とポル・ポトによる大虐殺や隣国ベトナムからの侵略などで混乱状態にあったことは知っていたが、それ以上の関心は持っていなかった。「アメリカ帝国主義を共通の敵」とするはずの社会主義国どうしがなぜ戦うのか、よくわからなかった。

 今回、わずかの間だったが実際にアンコールワットを訪問し、地元の案内人の話に耳を傾けているうちに、自分自身のこの国に対する認識の乏しさを改めて自覚させられた。それは実は、我々が知っているつもりの「アジア史」の貧弱さの反映でもある。
 中国の王朝交代と日本を含む周辺国のからみ具合を軸に、インド史を少々味付けした程度の通史というお決まりのパターンでは、アジア史のダイナミズムを構造的に理解しているとは到底言えないのだと思った。
 我々が学生だった70年代は東西冷戦のさなかで中国国内は「文化大革命」に揺れ、深刻なベトナム戦争の惨禍、泥沼のカンボジア内戦といった具合に東アジアはまったく未来を見通せない混乱と悲惨の極みにあった。正直に言って我々の志向はむしろ「欧米先進国」であって「遅れた」アジアにはあまり魅力を感じなかったのだった。
 ところが、まさかその貧しかった中国が世界的にのし上がり、良し悪しは別として今やアメリカと覇を争うような政治・軍事・経済大国になるとは、あの頃想像もしていなかった。冷戦後の平和の訪れとともに東アジア各国がいっせいに急速な経済成長の路線に乗り、相対的に日本の経済的な地位がここまで低下するという事態も見通せてなかった。
 「アンコールワットと私」(連合出版2018年刊行 石澤良昭著)は著者がひとりの日本人として学生時代に偶然出会ったアンコールワットに深い心を寄せ、その発掘作業に飛び込んだ経過が語られる。内戦の間は一時断絶した苦闘に耐え、カンボジアの人々のアイデンティティーと民族の誇りの回復に生涯をかけた人生に率直に感銘した。良書だと思う。
 拾い読みで紹介させてもらいたい。

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 「シェムリアップには(初めて 筆者注)4日間ほど滞在しました。その時に見たのが、夕日に染まり、空に向かってそびえ立つアンコール・ワットの中央祠堂の威容です。背筋がぞくぞくしました。熱帯の大樹林と、人間の構築物である石造寺院がこんなにぴったり溶け込むものなのか。六十五メートルある中央祠堂の前に立つと、魂が吸い込まれそうな気分がしました。私にとってアンコール・ワットとの出会いは、今までに経験したことがない大衝撃となったのです。」(同21-2ページ)
このとき1960年、著者が大学3年の時だという。
 

アンコール・ワットの夜明け
アンコールワット
観世音菩薩の四面仏尊顔

「(61年)再び訪れたアンコール・ワットとその周辺を、今度はじっくりと見て回りました。森閑とした密林の中にいくつも鎮座している大小の石造伽藍、整然と掘られた環濠の向こうにそびえ立つ五つの大尖塔、回廊の壁や柱・楼閣などに浮彫されたインドの神話、その戦闘の場面や人々の暮らしのひとこま、そこかしこに彫られたヒンドゥー教の神々の彫像、そして仏教寺院の名残りをとどめる巨大な観世音菩薩の四面仏尊顔・・・・」(同24ページ)

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壁面のレリーフ
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「当時はまだ、海外旅行自由化(1964年)の前、1ドル360円で固定されている時代です。日本銀行にドルの購入申請に行ったのですが、外貨を稼ぐことが急務な時になのに、まだ働いてもいない学生がドルを使うなんて、と日銀の人に説教される一幕もありました。」(同19-20ページ)
 という事情を、今の若い日本人にはわかりにくいことだろう。まだ戦後は終わっていなかった。

 また、本書とは別にNHKのカルチャー番組で著者が同じテーマ「アンコールワットと私」で語った内容のなかで、初めてカンボジアの遺跡調査にかかわった1965年の印象深い思い出話が心に残った。
 それは、たまたまタイ北部のカンボジア遺跡を調査したときのこと。
街中を歩いていると、近くに日本人が住んでいると話してくれる人がいた。北部タイのカンボジア人居住地(かつてはアンコール王国の版図だった)になぜ日本人が住んでいるのか不思議に思って訪ねてみると、そのお宅は高床式の居宅で確かに日本人がカンボジア人家族と暮らしていたという。終戦からすでに15年、その日本人はほとんど日本語を忘れかけている様子であったが、なんとか身の上話を聞いた。すると、実はあのインパール作戦(一部の無責任な将官が発動したビルマでの大消耗戦)の敗残兵だった。タイ北部まで仲間とともに逃げてきたようだが、途中で重度のマラリアに侵され、そこで力尽いて倒れていたところをカンボジア人に介抱され命拾いしてそのまま住み着き、その後、助けてくれた人々と家族をつくっていたものらしい。
 石澤氏は自分が間もなくビザが切れて日本に帰国する予定だったので、何ならその人の消息を故国に伝えても良いと申し出たといころ、涙ながらに「それだけはやめてくれ」とのことで分かれたという。
 この体験から石澤氏はますます遺跡の研究に心を注ぐようになったのだという。見も知らぬ行倒れの外国人(おそらく言葉も通じなかっただろう)を救った心優しいカンボジア人(クメール人)たちが、あのアンコールワットを作ったのだと思うと、猶更に意欲をかきたてられたというのだ。心温まるエピソードだと思った。
 それは、この拙いブログの意図ーー戦後日本を生きた意味を渉猟するーーに響いた。

 未曽有の惨めな敗戦を喫し、先祖からの伝統や遺産を壊滅的なまでに喪失した日本人が、かつて戦場化したアジアにふたたび入るとき、戦中派世代の人々はいろんな思いが心をよぎったことだろう。ことの良し悪しの評価はひとまず置くとして、そこは日本人が血を流した「戦場」であったし、無実な地元の人々には迷惑この上もない「戦争」であって、取り返しのつかない苦しみを強いた場所でもあった。戦後生まれの私たちにとって、「戦後」とはやはりその痛切な反省からの出発なのだと学んだのだった。 
 特に、アメリカに追い詰められ前後の見境もなく「南部仏印進駐」を強行した日本軍が現地の人々にどう受け止められたかは、戦後世代である私たちにとっても喉に刺さる棘のような課題であったと思う。それは国際関係にさほど強い関心を持っていなかった自分ですら、日本に来たアジアの留学生との接触の場などで時に直面した切実な話題だったように思う。「世代が違うので関係ない」などと放言してはばからない、安っぽい政治屋は信用できない。

 それだけに、石澤氏をはじめ
 「上智大学アンコール遺跡国際調査団(ソフィアミッション)の「国際協力の哲学は『カンボジア人による、カンボジアのための、カンボジアの遺跡保存修復(By the Cambodians,)for the Canbojians』です。カンボジア人自身が自国の遺跡を調査・研究し、保存修復していく。そうできるように、調査団が支援するという考え方です。私は1961年から彼らと付き合い一緒に現場で仕事をしてきて、カンボジアの人たちにはそれができると私は確信していました。」(同65-6ページ)
 という姿勢に強い共感を覚えた。戦後日本人のアジアへのアプローチの作法だと思った。先年アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲氏の精神にも通じる。
 ここに至るまでの、言葉を絶する過酷なカンボジア現代史の荒波をくぐり抜けた理念が光る。
 「調査団の活動は、信頼に立脚した尊敬し合う『人と人との協力』です。それは言葉・肌の色・国籍を超えました。私にとって、そのきっかけをつくってくれたのは、1961年に出会ったカンボジア人の若き保存官たちでした。私たち調査団の活動は行方不明となった保存官たちへの鎮魂から始まりました。国際政治の波に翻弄されるカンボジアの姿を目の当たりにして、驚き、こんな理不尽があってもよいものか、と涙を流し、平和が来ることを祈る毎日でした。
 カンボジアへ何度も渡り、友人たちの行方と人探しをいたしました。何とか生きていてくれることを願ったのですが、叶いませんでした。
 アンコール・ワットをこよなく愛し、誇りに思っていたあの若き保存官たちの御霊に、本書を捧げます。」(同227ページ)

このような痛切な鎮魂の思いがあったことを銘記したい。

作成者: webcitizen528

A Japanese man in Osaka

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