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Lowrence of Arabia アラビアのロレンス(2)

T.E.ロレンスの実像を求めて、いろいろ調べてみて驚いた。
英米では「ロレンス学界」といわれるほどに多くの研究家、専門家がいて、この分野の著作や資料も膨大な量にのぼることがわかった。それほどに多くの人々がロレンスに惹かれ、論じてきたらしい。

映画「アラビアのロレンス」をちょっと観たくらいで、これを断定的に論ずるのはおこがましいことなのだな、と思い知らされた。

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ベドウインの衣装のロレンス

ちなみに日本では、古くは岩波新書版「アラビアのロレンス」(中野好夫著1940年、63年改版)がつとに著名。
同著の中で
「・・・・しかしただ彼が、すでにいくども述べてきたような烏合のベドウイン族に組織を与え、アラブ民族の性情と、地理的条件とを考慮して、もっとも適切な戦術を案出ということ、しかも最後には連合国軍正規兵を出し抜いて、とにかくアラブ叛乱の大旆をダマスカスにまで導いたという手腕だけは、いかに割引きしてもこれを認めないわけにはいかないであろう。・・・・いかに懐疑的な態度をとろうとも、ロレンスがたちまちアラブ人たちの心を捕え、終始全能的な信頼をかちえたという人間的魅力だけは、何人といえども否定することはできまい。・・・・」(同248-9ページ)
と的確に述べていることは頷ける。

先にアラビアのロレンス(1)でピーター・オトゥール主演の映画は62年の時点でのデービット・リー監督の「ロレンス解釈」だと記した。実際には複雑多岐にわたるロレンスの生涯を、映画向けにかなり簡略化したようだ。しかし、あくまでロレンスの実像に迫ろうという意図は外していない。

人となりを描くために、細部に新たにストーリーも創作したのだと思う。 勿論、大枠は歴史的事実に即しているのだが、ドキュメンタリーではない。

そうした観点で改めて映画を観ると、この作品はたんなる英雄譚ではない。いまだに議論の多い、謎に満ちた「アラビア」と「ロレンス」を解釈するための、リー監督なりの虚実取り混ぜた作品だったと言って差し支えないのではないだろうか。

たとえば、ファイザル王子が大砲が欲しいと強く要請する場面がある。
たんにベドウインの戦力強化のためということだけでない。単騎戦では命知らずのアラブ人戦士が、トルコ軍の大砲の大音響にはからきし弱い、という事実があったからだとわかった。
勇猛果敢だが、実は中世のラクダ部隊さながらの文化水準であって、近代戦の洗礼をまったく受けていなかったからだ。

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ファイザルは「大砲」の提供を強く求めた

 また、ロレンスがあの有名なアラビア服を身にまとったのは、実はファイザル王子の提案だった。それは英軍の軍装では敵のトルコ軍と区別しにくいことや、ベドウインとの一体感を持つためだったらしい。ロレンスはこれを受け入れた。
それは、青年ロレンスの内面にあった砂漠の民への「変身願望」にもマッチしたのだろう。後述するように彼は、孤独な「アウトサイダー」の側面を秘めていた。青年期の「自分探し」の現れと見ることも可能ではないだろうか。

一方、映画の中ではアカバへの困難極まる行軍で、脱落してしまったあるベドウインの男(ふつうは砂漠に置き去りにされて死ぬしかない)を、ロレンスが敢えて逆戻りして命がけで救ったシーンが挿入されている。
この救援成功で『地獄の砂漠』が危険極まりのないことを知るベドウインたちから英雄視された。そして、同胞を命がけで助けてくれた「感謝と尊敬のしるし」としてロレンスに民族衣装が与えられた、という筋の話になった。
実話ではないが、ロレンスがなぜ信頼されたのかを説明するための創作なのだろう。

 しかし、いずれにせよ砂漠の戦場に彗星のごとく登場したロレンスは、この美しい「砂漠の民の衣装」をこよなく愛し、誇りにしたことも事実なのだ。

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また、この映画ではほとんど「女性」が登場しないこともロレンスの世界を示唆しているのではないだろうか。
テーマが砂塵渦巻く砂漠の戦争であるからというだけでなく、生涯女性とはあまり縁を持たなかったという、ロレンスの性向を暗示しているように思う。

実際問題としてロレンスは、戦乱のアラビアで、筆舌に尽くせぬ困難を極めた状況に直面しながら、その場その場であらん限りの知恵を絞り、勇気を奮い起こして修羅場を生き抜いた、というのが本当のところだろう。成り行きと言っては語弊を招くかもしれないが、勢いの赴くところ、自ら奮起して突き進んだのだ。
もともとは、あくまで叛乱アラブ人の実情を把握すべく派遣された情報将校だったに過ぎないのが、ついつい仲間入りして実戦にまでのめりこんだ。それだけ実情に精通し共感していたからだ。
 そして、誰にあっても案外、人生の真相はスケジュールどおり機械的に進展するのではなくて、その場の成り行きに大きく左右されることが多いといえる。

 ところが事態は、国際政治のパワーゲームにおいても、ロレンス自身の内面でも、実は様々に深刻な矛盾と葛藤のるつぼにあったのが本当なのだろう。
 映画で描かれたように当初は、アラブ人と祖国大英帝国の共通の利益でもあると信じられたものが、まもなく虚妄であることが判明してゆく。
しかし、もう、もとには戻れない。成り行きは成り行きとして、ままよ精一杯に敢闘精神を奮い起こして敵を打ち倒すしかない、と覚悟したのではないだろうか。私にはそう思える。

命がけのアカバ奇襲作戦の渦中で、イギリスには決してアラブ人との約束を順守する気などないことをロレンスは知った。でありながら、ここはアラブ人を率先垂範していくしかなかったのだ。それが戦いの「現場」である以上、統率者が迷っては皆が支離滅裂になる。それは「負け戦」につながる。戦場ではすなわち死につながるのだ。

むしろ彼は、アラブの圧倒的な勝利で局面を開こうとしたのかもしれない。
これは内心、さぞ苦しかったろう。今、目の前の戦闘で生死を共にしているベドウインたちを裏切るわけにはいかない、苦心孤中のロレンスだったのではないだろうか。戦場という特殊な環境、その複雑性をよく描いていると思う。

「昂揚して走り回っているうちはよかったのだが、いくらかでも暇ができてくると、かえって心がおちつかなくなってきた。私は結局のところ、アラブ人の崇高な理想を利用し、彼らの自由に対する熱望を、イギリスの野望を達するための道具に使っていたことになるのだ・・・・」これが真相だ。
『砂漠の叛乱  強敵「自己」 角川文庫平成6年刊 』

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その混沌を抱えながら、まずは「アラブ民族の独立と自由」の旗を戴いて、果敢に戦い抜いたのだと思われる。人間として、愛するアラブへのぎりぎりの「誠意」が伺われる。逆説的ながら、彼が「アラブの英雄」たりえた秘密がここにあるのではないだろうか。

ロレンスの天才は、アラブ人に最もふさわしい戦い方を生かしたゲリラ戦術を採用したことだろう。自著「砂漠の叛乱」を読んでいて痛感するのは、アラブ人各部族ごとの違い、更にリーダー一人一人の性格を深く理解し、その心をよく掴んでいる。だから外人でありながら、端倪すべからざるリーダーシップを発揮できたのだ。

「Aragument without war」など一連のマクマナラ・シリーズで記したが、ベトナム戦争でアメリカがついにできなかったことだ。
「卒に将たる者の心得」は東洋でも様々な経験知が説かれるが、ロレンスは「西欧人」でありながら、アラビアの砂漠でそれを果たした。
合理主義だけでは、アラブ人の心をつかめない。

自然環境の過酷さも想像を遙かに超えている。アカバ攻略はまるで源義経の鵯越の奇襲を彷彿させるが、そのスケールの大きさと条件の過酷さは比較を絶する。

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へジャズ(巡礼鉄道)の破戒工作

「巡礼鉄道」の破壊工作でトルコ軍の兵站線を分断するという戦術も、砂漠の実状に相応しい効果的な戦い方だった。機動性に富む少数ゲリラ戦の妙味といえる。「西欧人」のロレンスが、毛沢東よりも半世紀前に「ゲリラ戦」の範を示した格好だ。

勢い、それまでアラブ人の叛乱を戦線全体の「余興」効果ぐらいにしか見ていなかった英軍司令部は、俄然ロレンスの活躍を「利用」することにした。ロレンスの立場を慮ってのことではない。この狡猾さこそ「大英帝国」の真骨頂=大人の知恵だ。皮肉を言えば「日本帝国主義」には足りなかったのだろう。

膠着状態だった大戦全体の局面を、打開する突破口にできると踏んだ。
そして様々な好条件も相まって、ダマスカス陥落まで一気に上り詰めてしまったのだけど、それが結果的には前人未到の歴史的偉業として人々の記憶に残った。

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しかし、ロレンスがあらかじめこれをすべて緻密に計画したわけでもないのであって、むしろ「アラブの風雲児」による「究極の現場対応」が「想定外の快挙」へと「大化け」したと言って差し支えないだろう。ロレンスも、はじめからなりたくて「アラビアのロレンス」になったのではなかった。
だから痛快至極なのだ。
そして、つまらない「小人の欲得」に拘らなかったことも、アラブ人に信頼される秘訣だったのではないだろうか。「英雄」の要件だ。

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「巡礼鉄道」へのゲリラ戦

もうひとつ、ロレンスが一躍話題の寵児となった理由で考えられるのは、この地域が西欧人の郷愁を誘う「聖書物語」の舞台でもあるし、中世の十字軍遠征を想起させるようなロマン的要素もたっぷりあるのだから、余計に人々のあこがれをかきたてたのだろう。

オクスフォードの史学を首席でおさめたロレンス自身も、中世や十字軍の歴史には相当に専門的な知識を持ち、若いときからメソポタミア地方の遺跡も見て歩いていた。発掘調査にも参加した。
おそらく悠久の中東アラビア史の文脈に、自らの「歴史的役割」を重ね合わせていたことだろう。
ちょうど、中国の古典に親しんできた日本人にとっての「西域」憧憬にも似た心情だ。

大戦後の名声も本人が意図したのではなくて、もとをただせば、彼を取材したアメリカ人ジャーナリストが、異国情緒たっぷりの英雄物語に仕立て上げて、ひと儲けしたことが始まりだったようだ。 そこから有名人であるがゆえの毀誉褒貶にも翻弄されたことだろう。
洋の東西にわたり、くだらない小人がしばしば卑しい目的で英雄を利用する。結果その「果実」を食い散らす。

 映画の主演俳優のピーター・オトゥールは190センチ近い長身、碧眼の美男だったが、実際のロレンスは意外にも背が低く身長166センチだったらしい。残された写真を見ても見栄えが良かったとは言えない。
しかし映画は、決してロレンスの「真実」から大きく離れてはいないのだろう。

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ピーター・オトゥール

 

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砂漠の騎馬戦こそベドウインの戦い方だった(映画アラビアのロレンス)

酒もたばこも嗜まず、生涯独身で、むしろ「同性愛」傾向であったのではないかという指摘もある。
かなり夢想家で、孤独癖もあったように自分で述べている。 今様に言えば、いわゆる「オタク」だったのだろうか。「変人」の部類なのだろう。
アラビアの風土や言語にも精通していたから、戦争が始まると、その専門知識を買われて英軍情報部の地図作成班に所属していた。
これとても、ロレンスがあらかじめ計画的に選んだ仕事ではない。

ところが、諜報活動でベドウインに派遣されてからは、余人の及ばない、まったくロレンスの独壇場が開けた。
それは、「運命」と言い替えられるのではないだろうか。しかしロレンスはその「運命」を「使命」に切り替えた。ここにこそ一代の風雲児ロレンスの真骨頂があった。

それにしても、生まれ育った寒冷な英国の風土とは似ても似つかない過酷なアラビア砂漠の只中できわどい死線をたびたび乗り越え、よくもこんな大戦果を成し遂げたものだ。そのずば抜けた勇気、体力、知恵には驚嘆せざるを得ない。
いくら軍命と言え、はたまた「オスマン・トルコからの解放」をめざすアラブ人への共感とはいっても、やはりロレンス自身の生来の能力を考慮に入れなくては、この「大業」は正しく理解できないだろう。

 例えば1956年発表されて、当時世界的なセンセーショナルになったコリン・ウイルソンの著書「アウトサイダー」では様々なアウトサイダーを点描しながら、その一人としてT.E.ロレンスを取り上げて論じている。
この難解な著書の中でウイルソンは結局のところ、ロレンスがアウトサイダー(局外者)であったことを示唆している。

「『アウトサイダー』の問題は、本質において生活の問題である。・・・・・本書において考察する三名の人物(ゴッホ、ロレンス、ニジンスキー)は、一つの不幸な特徴を共通点としてもっている。・・・・・つまり、三人とも、自己および自己の発展の可能性を浪費したのである・・・・・彼らが自己を理解せず、それゆえに自己の能力をあたら浪費したのだという事実を痛烈に感じとることができる。・・・・・」
(コリン・ウイルソン「アウトサイダー」第4章p114-115  集英社文庫1988年刊)

映画の中でも、ロレンスはベドウインたちとの命がけの友情を育んでいくのだが、結局のところ、白人であるというアイデンティティーとの間で、深刻な矛盾に苦悩する場面がある。
ウイルソンはそれを「アウトサイダー」の典型例として解釈してみせた。

生い立ちの複雑な事情が、鋭敏な感受性や孤独でストイックな行動様式を育んだ。ロレンスを疎外する現実からの離脱志向が、異郷への憧れ=中東の考古学へと発展したのだろうか。
社会生活での疎外感・非現実感など、ロレンス自身の内面には、自分でもそれと明確に言語化できない、大きな「混沌状態」を抱えていたらしいことはよくわかった。

これは想像だが、例えば、周囲との間に本人自身も戸惑うような「違和感」があり、自分が生きているという「存在感」をつかむのに、人知れず悩んだ人でもあったのではないだろうか。
インサイダーのように所与の条件に安住できないのだ。
いわば精神的な『異邦人』でもある。アラビアに行かなければ、孤独な研究家か「夢想家」で終わっていたかもしれない。

ある面で、誰しも自分の中に大なり小なりそうした孤独性を抱えているように思うが、人それぞれの感受性や行動力の幅がある。
年齢と共にそうした感性も磨滅してゆくのが普通だろう。そしてごく普通の、ありきたりの「平凡人」で生涯を終わる場合が多いのだろう。私も例外ではない。
ほとんどのエネルギーを、家族や所与の仕事(ほとんどが雑用!!)に使い果たすのが通例だから。
しかしロレンスは、たまたま大戦期の中東という、「歴史変動の裂け目」に遭遇しそこで跳躍した。

若い頃は、老齢期よりも夢と現実との境界線は低い。色彩あふれる願望とモノトーンの現実とのはざまで不安定な精神状態を生むのだろう。 ロレンスは、しばしば「虚言壁」や「誇大妄想」があるとも指摘された。

こののち、第一次大戦後、中東での前人未到の経験をかわれて植民相ウインストン・チャーチルの要請で顧問に就任し、フランス語、アラビア語を駆使しながら戦後処理の任にあたった。
しかし彼の行動を称賛する人ばかりではなかった。その直情径行ぶりに、いかなる資格で勝手な動きをするのか、といった具合の反発もあったようだ。
実は英国のためにアラブを利用したに過ぎない、という難詰もあった。
しかし、欲得で動いたのではないと思われる。

有名になってからは、よくあることだが、陰湿な嫉妬もたくさん浴びたのだろう。この風変わりな異端児は、インサイダーにはなかなか理解できないだろう。

こうした人物を、「等身大」に把握することは確かに難しい。
勲章や栄誉の辞退も謎に輪をかけるだけだったようだ。しかも20世紀前半の英国、まだ「大英帝国」の威光が輝いていた時代。

1935年にオートバイで事故死してすでに80年ちかいが、かくも人気を博し、今も新しい研究書の発表が後を絶たない。
はからずも人種や民族、文化を超えた破天荒の大活躍で、20世紀前半の世界史に流れたすい星のような鮮烈さが、今日なお私たちの夢を掻き立てるからだろう。そして何よりも人間のアイデンティティーについて、深い省察を与えてくれるからではないだろうか。

「『アウトサイダー』は自分が何者であるか確信がない。たしかに一つの『われ』を見つけはしたが、それは真の『われ』ではない。彼の主な仕事は、自分自身への還り道を見いだすことだ。」
(「アウトサイダー」第6章アイデンティティーの問題(253ページ) 集英社文庫1988年刊)

 巷間で人口に膾炙する「アラビアのロレンス」と、ありのままの自分との間の深刻な乖離状態がまたロレンスを煩わせたのだろう。言動の矛盾や、理解しにくい多面性が周囲を翻弄したこともあるだろう。

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晩年のロレンスが愛用したオートバイ

ともあれ、はじめは若いがゆえにたぎる情熱があったのは確かだと思う。
若者が持つ異郷への憧れ、夢、つまりロマンがあった。これを実現するための行動力もあった。そのための該博な予備知識もあった。おそらく努力家でもあったのではないだろうか。また、そうでなければこんな修羅場を勝ち上がることなどは決してできない。

ただ、ウイルソンも指摘しているように、残念ながら自分で自分がよくわからないうちにどんどん事態が先行した。その渦中で混沌たる自らを脱出するようにしてスピードに溺れ、逝ったのかもしれない。
内面から吹き上げる嵐に身を持て余してしまったように思える。
苛烈な戦場体験の後遺症も気分を亢進させたかもしれない。

灼熱の砂漠でのオペレーションは終わったものの、「人生という砂漠」に渇したロレンスには、確かな自己への飢餓感があったように思えてならない。かくてロレンスの自分探しは「未完」のまま突然停止した。

しかし私は、牛の涎のような「長寿」を敢然拒否する、過激な「魂の純粋性」を讃えたい。

盛夏のサルスベリ