カテゴリー
歴史

អង្គរវត្ត,アンコールワット遺跡群訪問

わずか数日の観光ですべてわかるはずもないが、その広大で堂々たる存在感は胸に深く刻まれた。やはり実際に来てみるものだと実感した。
※アンコール・ワットの風景は様々な動画として提供されているが、ドローンで撮影されたと思われる動画のURLを以下に紹介します
https://www.youtube.com/watch?v=k1vYftwHApA

 地元の案内人によると、カンボジア全土には大小合わせて1000箇所ものクメール遺跡があるのだという。そのうち約700が集まる。
 シンメトリックな形状の美しさで有名な世界文化遺産アンコールワットは、堅牢な石造りの構築物だった。専門家によるとカンボジア版ヒンドゥー教の寺院建築(12世紀初期~中葉の建立らしい。)なのだそうだが、途中で上座部仏教に宗旨替え(16世紀)したものだという。
 まだ暗い早朝の4時半ごろに起きて懐中電灯を持参、 まっすぐに伸びた背の高い熱帯の樹木の間を歩いていると遥かに見えてきた。 地元の案内人(40歳代)によると、このあたりは彼が中学生の頃は鬱蒼たる密林だった。よくマキを拾いに来たという。
 熱帯なのに、乾季(11月~5月)の大陸性気候の賜物だろうか摂氏23度。半袖短パンのいでたちで涼しく感じるくらいだった。太陽が昇ればたちまち32,3度だという。この時は2月末だったが4月ともなれば40度を超えることもしばしばだという。

私たち見物人はわずか100人くらいだったろうか、寺院前庭に集い、そこで登る太陽を待った。
あいにく乾季で水量が不足していたのだろう、目の前の聖池は思ったより小さくて湖面に映るアンコールワットの姿を鑑賞することは叶わなかった。
 参道わきの大環濠には美しい蓮が咲いていた。古代クメールの人々にとって、ここは仏国土だったのだろう。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は DSC_0070.jpg です
この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は IMG_20200226_064127-scaled-e1585394595938-1024x404.jpg です

やがて薄明のシルエットの奥に赤く焼けた日輪が赫耀と登り始めた 。その雄姿にあちこちから感嘆の声があがった。日本ではついぞ見たことのない荘厳さを湛えていた。
スマホカメラでは望遠でなくて残念。

 雨季と乾季の雨量の極端な差と、土地のわずかな高低差を利用して、古代クメール人たちはこの遺跡周辺にため池や水路をち密に巡らしたらしい。その水面に竹のいかだを組んでアンコールワットの表面を覆う化粧石(砂岩)を運んだようだ。牛車や像も使って岩を運んだ。
 しかも驚くべきことに石組みには接着剤をまったく使わず、これほど見事に面がぴったりあわさって積み上げたのだそうだから相当高度な土木、建築技術水準だったのだろう。中央の祠堂は65メートルもの高さを誇る。
 最盛期40~60万人もの人々が住んだという大都市だった。14、5世紀ころの日本の京都がだいたい15万人くらいというから、その規模の大きさが想像できる。 この時代の世界の大都市、スペイン・コルドバ、東ローマ帝国・コンスタンチノーブル(イスタンブール)、南宋・開封と並ぶ。確かに人類の文化遺産たる所以なのだ。

 近くにあるアンコール・トム、タプロームなどとともにいずれもこの地域特有の粘土質でできた茶色の石造りの遺跡群がある。しかしなかには崩れ落ちた箇所も多く、まだ手付かずのままの部分も目立つ。修復にはまだまだ相当なコスト、時間と労力がかかるのだろうと思われる。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は DSC_0265-768x1024.jpg です
倒壊寸前の箇所

 遺跡が傷む原因は、雨期の大量の雨水が建物の底に溜まって地盤が緩んでしまうかららしい。石積みに歪を生むのだ。そのうえに熱帯植物の生育が早い。降り注ぐ強烈な太陽光とともに雨期の土砂が運ぶ養分で地味も肥えているようだ。石造のわずかなすき間に芽吹いた樹木が年月を経て巨大化し、いかな堅牢の石積みも崩してゆく。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は DSC_0270-768x1024.jpg です
タプローム

だからアンコール遺跡群のひとつ、タプローム寺院はその自然の奇観が世界自然遺産として認定された。このままにしておけばやがて寺院は崩壊してしまうだろう。今の姿をどう保存するかが課題だという。遺跡を踏み潰したように見えるガジュマルの旺盛な生命力に圧倒される。こんな景観も日本にはない。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は IMG_20200226_112027.jpg です

かつては凄惨な内戦の戦場でもあったが、それでもこれほど貴重な建築物が とにもかくにもここまで残ったのは、ひとつは日本のような地震多発地帯ではないかららしい。地盤が安定してるのだろうか。
 これまでに見たこともない景観に圧倒されて、眼がクラクラしそうだ。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は IMG_20200226_064737-768x1024.jpg です

やはり、その場に来ないとこの存在は体感できない。

作成者: webcitizen528

A Japanese man in Osaka

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください