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トンレサップ湖の環境悪化を憂う

 アンコールワットから車両で30分ほど南西に進むと、インドシナ半島最大の淡水湖トンレサップ湖に到着する。水量が少ない乾季だったので車窓から見ていても湖周辺では高床式の住所が目立つ。浸水林や氾濫原というのだろうか雨季には湖面に沈む周辺地帯も含めて、湖は多様な水産資源の宝庫なのだそうだ。漁業が盛んなので、湖と湖畔を生活拠点とする人々はカンボジアのなかでは比較的に豊かなのだという。

観光船の船着き場

 湖岸からは数十人乗りの観光船が出ていて、乗船後しばらくすると湖上レストランに到着。そこでは、休憩や食事、買い物などができる。ナマズやワニのいけすもあった。ワニは比較的小ぶりで1メートル前後くらい。肉は食用、皮は皮革製品になるのだという。トイレはそのまま湖水に直結。これだけの太湖だから自然浄化にまかせているのだと思う。仏教だろうか祠もあった。

トイレ

 案内人によると水面には浮いた郵便局、警察署、集会所、学校まであって世界最大規模の湖上生活者(約40万人 湖周辺の住人も含めると100~120万人)が住むという。粘土色の水面を見ながら冗談半分めかして、この水で歯も磨くし顔も洗うしご飯も炊くのだと述べて「だから、コロナウイルスなんて怖くないよ」との説明には笑いも起きていた。

 それにしてもこの湖の規模は広大で、案内人の話によると、乾季で琵琶湖の4倍程度(水深1~2メートル)、雨期だと17倍(水深約9メートル)にもなる時があるというのだからよほど水量の違いがあるのだろう。聞くと、下流のプノンペンあたりで東南アジア最大の国際河川メコン川に合流するのだが、雨期にはそのメコン川の水も逆流してトンレサップ湖に流入するのだという。つまり、メコン川の水量を調節する天然ポンプのような役割を果たしているのだという。


 そのダイナミックな機能がトンレサップ湖の豊かな自然環境を提供しているのだ。この特徴をクメール人たちは巧みに取り込み、環境に調和しながら生活基盤を確保してきたといえる。
「結論からいえば、クメール人はこうした河川の流水および雨水を自由に調節する大事業に成功し、それがアンコール文明の発展を支えてきたといえる。」(「アンコール・ワット」石澤良昭 1996年 講談社現代新書177ページ)
 豊富な漁業資源があると同時に、鉄道もバスもなかった王朝時代に、湖上の水運が重要な物流機能を果たしたのだろう。
 美しい自然とともに、この目に見えない人間の智慧こそが人類にとっての「遺産」ではないかと思う。そして今、特に強調したいのはその「智慧」があまりにも侮辱され冒涜されて来たのが20世紀以降の世界史なのではないだろうかという感慨。

 日本でよく見る湖とは大違いでドロドロした赤茶色の湖水だが、これはインドシナ半島全体に広く分布したラテライト(紅土)が溶け込んだからだろうか。そういえばアンコールワット周辺も赤土だった。
 しかし、それだけではなくて、現実にはトンレサップ湖の水質は最近かなり悪化しているようなのだ。

 考えてみると、アンコール遺跡を生んだクメール人たちは雨季と乾季の水量の大きな差を絶妙に調整しながら農業生産を発展させ、栄光の文明を作り上げた。大陸国家なので長い歴史のなかでは内憂外患に見舞われることも多かったようだが、比較的豊かな熱帯の食糧事情に恵まれ、それなりに環境とのバランスのとれた生活を享受してきたのだろう。

 にもかかわらず、カンボジアは19世紀後半からの西欧帝国主義の植民地支配と強奪、そして東西冷戦の迷惑なとばっちりとも言える戦争と革命、さらには隣国からの侵略で国土は空前の混乱を経験した。そして身の毛もよだつような大虐殺、悪夢の内乱でクメール人たちは史上未曾有の苦難に遭遇し多くの難民も発生した。やっと平和が戻ってきたのだ。映画「キリングフィールド」を思い出す。

 近現代の不幸に追い打ちをかけるように、今度は深刻な環境破壊の脅威が忍び寄ってきている。
 日本ではあまり知られていないが、トンレサップ湖の汚染は、地球環境の悪化のひとつのバロメーターではないかと思った。
 詳しくは、水ジャーナリスト橋本淳司氏の報告を下記にリンクするので参考にしてほしい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/hashimotojunji/20190430-00123920/

 読んでいて思い出したのだが、私の乗った観光船にもアルバイトの子供たちがいた。船の曳航や飲料水の小売りを担当しているようだった。時に観光客の肩たたきまでして小遣いを稼いでいる様子だった。

橋本氏のレポートによると、
「人々は湖の水を飲料水として使うため、下痢などの病気になる。湖周辺にはマラリア、デング熱、急性呼吸器感染症、結核などの疾病も蔓延し、健康を損ねると住民の多くは借金して病院代や薬代に当てる。もしくは子供(まずは女の子)に学校をやめさせ学費を倹約して病気の治療に当てる。病気と借金、その結果としての貧困が悪循環となって住民を苦しめている。」
ということだが、この時の地元の案内人の話では授業の合間を見てアルバイトしているだけで、学校には通っているとの説明だった。船が岸につくとその案内人が子供たちにさっと小銭を渡しているのを私は見逃さなかった。
 ふと、アンコールワットの場外でお土産を押し売りしてきた女の子は裸足だったことも思い出した。
 私から見て、ちょうど孫の世代にあたるカンボジアの子供たちの幸せを願わずにはいられない気分だった。