カテゴリー
映画 歴史

映画「The Fog of War」2 人間マクマナラ

それは即、人類の存亡に直結していた!

「果てしなき論争」と「マクナマラ回顧録」を読んで、そのうえで映画「The Fog  Of  War」(Sony pictures)を観てみたところ、文字情報だけは得られない新鮮な「発見」があった。

本題とは関係ないが、この人は「左利き」なのだった。それと、若い時からきちんと髪を分けていたが、その分け目のところの地肌が目立っていることに気付いた。85歳の(映画登場時)今は、見ての通り。文字だけではわからないが、その人となりや印象を観測するための材料だと思う。

そしてやはり、出身会社「フォード」の車を自ら運転している。

少年時代のサンフランシスコは、中国人、日本人、ユダヤ人も多くて東海岸とは異なったエスニックな雰囲気のなかで勉強を競ったという。「決して負けなかった」と無邪気に自慢している。楽しい思い出なのだろう。

幼児のころの写真も登場するので、一人の人物の生涯を走馬灯のようにイメージできることが興味深い。

ひとりの人間を立体的に理解するためには案外、こうした枝葉末節の情報も大事なヒントになる場合があるように思う。

また、きっと思慮深い人で、語り方は慎重なのだろうという想像をしていたが、それは先入観に過ぎなかった。実にジェスチャーたっぷりの多弁であった。

その話し方にはけれんみがまったくない。85歳にしてはエネルギーに溢れ、頭脳も明晰だ。

しかも合理的であるだけでなく、感情も豊かな人物なのだと思う。

文字情報だけでは、ここまで把握するのは難しい。

images 2

敬愛を込めてケネディ一家を回顧するときの表情、ジョンソン大統領への感謝の思いは、やはり映像ならではのリアリティーがある。誠実さが滲む。昨今の日本の「政治家」(ほんとに悪相が多いと思う)とは大違いだ。


はじまりは60年末、まだフォードの社長に就任したばかりだった。

初対面のケネディから、何の前触れもなく、はじめは財務長官、次に国防長官の就任を打診された。

「兵役経験も3年しかない自分には資格がない」と、いったんはためらうのだが、妻の勧めもあって、ワシントンの社交界との付き合いはしないことと、省内の人事は一任させてもらうことを文書で条件にして、ケネディに持参した。

これをさっと一読しただけでケネディはマクナマラを伴って記者会見。いきなり国防長官の人事を国民に発表してしまう。

家族すら全国民とともに、正式発表をテレビ中継で初めて見た。

国民に選ばれた次期大統領が、初対面の自分を全面的に信頼してくれている。隣に並んで、感極まった面持で発表記者会見を見ているマクマナラ。ケネディ流に面食らうとともに強く感激したことだろう。アメリカ人として大いに誇りと使命感を持ったに違いない。

なにしろ、史上最強の経済軍事大国の国防長官だ。

五週間で辞めることになってしまったが、当時彼はフォード社長として世界有数の高給取りだった。

いずれもなりたくて成れるものではない。

この時ケネディは43歳、マクマナラは44歳。史上最年少の大統領と国防長官だった。

絶頂期のアメリカを象徴するかのような、新鮮で理想主義的な若い力だった。最優秀のスタッフを集めた政権は「ベストアンドブレイテスト」と呼ばれていた。


しかし政権は発足わずか90日でキューバ侵攻(ピックズ湾事件)という大失態を演ずる。

アイゼンハワー時代にCIAや軍部がすでに内々準備を進めていた軍事作戦であり、補佐官も軍事アドバイザーも全員が大統領に侵攻を進言した。

カストロ
カストロ

惨めな失敗に終わった直後、マクナマラは国防長官としての自分の責任を申し出たが、ケネディはむしろ厳然と「全責任は大統領の自分にある」として、正々堂々テレビ中継で正直に経過説明をした。

マクマナラはこの「主」のもとで、2度と失敗はするまいと決意したという。

このほかにも心温まるエピソードを交えて、マクマナラはケネディ兄弟たちのリーダーとしての成長、人柄の素晴らしさを表情豊かに懐かしむ。

たんなる老人の回顧談ではない。当時の政権の高揚感が伝わってくる。

これが、今の愚かな大統領を生んだアメリカと同じなのだろうかと思ってしまうほどだ。

それだけに暗殺事件直後、アーリントン墓地(国防省管轄)をジャクリーン・ケネディと、故大統領の墓地の位置を決めるために歩く時の深い悲しみには共感を禁じ得ない。

マクナマラが推奨した場所は、つい数週間前大統領自身がもっとも景色のよい場所として愛でたスポットだったという。

そう語りながら、心から敬愛する故大統領を非業の死で失った哀しみに、涙を浮かべ言葉を詰まらせるマクマナラ。カメラの前で、はばかることなく心情を吐露した。

そして今は、ジャクリーンもその同じ場所に眠っていると付け加える。

この時、マクナマラ自身も妻に先立たれ、最晩年を迎えていた。

やはり彼らの時代のアメリカは絶頂期だったのだと思う。

ケネディ大統領の葬儀
ケネディ大統領の葬儀

改めて感慨深いのは、歴史と人物を縛る「運命」。

たとえば、キューバ危機は人類破滅の核戦争寸前にまで至ったものを、ケネディ政権の人智を尽くした危機管理と、フルシチョフのぎりぎりの自制で「回避」できたことになっている。
事実経過は確かにそのようだ。

ケネディとフルシチョフ

しかし振り返ってみて、マクマナラはそれを根本的には「幸運だったからだ」と断言するところが印象深い。

たとえば、当時CIAはキューバにはまだ核弾頭は未設置だと分析していた。ソ連が核ミサイルを完成する前に、それを阻止するために海上封鎖をケネディがテレビ演説で発表したのだった。

ところが冷戦後になって、互いに率直な話し合いをして判明したのだが、実はすでに160発あまりも配置済で、カストロはフルシチョフに核攻撃を強く進言していた!!

何しろピッグス湾侵攻は撃退できたが、いつまたアメリカが圧倒的な戦力で攻めてくるかしれない。小国キューバは国家存亡の際にあった。

更に戦慄的な事実が今日判明している。

2002年になってモスクワの会議で初めてマクマナラが知ったことだが、当時ソ連は4艘の潜水艦に10基ずつの魚雷を積んでキューバ近海に配置していた。そのうち1基は核兵器だった。

そして危機が回避されても連絡が取れず、数日間の間は「核兵器」はスタン・バイしたままだったという、背筋も凍るような実話。

ほんとうに人類は「運が良かっただけか」で核戦争を免れたのかもしれない。

やはり核兵器は全廃すべきだ。

IMG-15_Soviet-Ship-Ansov-Departing-Cuba-11-06-1962

異様な緊張感のもと、誤認、誤射の可能性はいくらもあったということだ。まさに人類滅亡の大破局と隣り合わせだった。
キューバ危機の真相は当事者の予測をはるかに越えた深刻な事態だったのだ。

その一方、ベトナム問題ではまったく「ついてなかった」。

Thinking Macnamara

アメリカはドミノ理論の呪縛から「冷戦の一環」と見ていたが、ベトナムにとっては「内戦」であり、フランス植民地主義のアメリカ版に過ぎない、と見ていた。

ワシントンとハノイには根本的な相互の誤解があった。これを解消するための外交ルートもほとんど閉ざされていた。
表の政治的プロパガンダの裏にある真意を見抜けず、互いに頑な対立に凝り固まっていた。

そして泥沼のように足を取られていった。

ところが、その過程をよく見ると、重大事案の決定や、和平への可能性を開く大事な局面で、なぜか「戦争」の方向にサイコロが振れてしまうのだ。

これほどの優秀な人々を集めた政権が、全知全能を尽くして戦争の拡大を回避しようとしていたことは間違いない。また、北ベトナムも好き好んで苦しい戦いをしていたのではなかった。

まるで悪魔に運命を弄ばれているかのように、無意味な消耗戦が続いた。

thODTHBXC3

地上軍派遣の是非を探るためのワシントンからの派遣団が遭遇したものは、赴いたその場所でたまたま起きた米軍基地へのべトコンの直接攻撃。

不意を突かれた米兵が抗戦むなしく死傷する姿。
心情的には派兵に傾いてしまう。

局面打開のための和平交渉が、様々な手続きを経てやっとハノイ中枢に直接届くかに見えた直前、これを阻むかのような激しい空爆。外交交渉と軍事行動の連携ミスが、意図せざる誤作動を招いた。当然ながら、ハノイの態度はたちまち硬化してしまう。

戦争はいったん始まると、予期しない悪循環が動くようだ。まるで暴れ馬のように、手に負えなくなるのだろうと思う。

th71LHSERJ

こうした不運が嫌になるほどたびたび重なる展開をたどると、なにかまるで人智を超えた悪意の様なものを感じる。一度坂道を転がり始めると途中で止められないかのようだ。

「人は善をなさんとして悪を行う」という苦い教訓。

In order to do good, you may have to engage in evil.

それに、どんな司令官でも戦争の全局面を、精密に把握することは不可能だという。それが題名「Fog  of  War」の由来らしい。

現象界はあまりにも複雑多岐な要素に溢れ、人智には限界がある。

地球を何回も滅ぼす暴力(核兵器)は手にしたが、地球を救う決定的な知恵を人類まだ見つけていない。

弁解ではないが、その日暮らしの対応に追われる政権にとって、ベトナムだけが難問のすべてではなかった。

反戦運動の高まりの中、家族へのつらいしわ寄せもあったが、それは映画では言いたくない。

更に長官室のすぐ下の階で反戦を訴える、あるクエーカー教徒の焼身自殺まで起きた。ショックだったのは、その心情に共感できる良心があったからだ。

語るにつれ表情も苦渋に歪む。「政治家である前に血の通った人間である」ことが心の葛藤を拡げる。

ただ、自らの苦難に満ちた経験に学び、将来の戦争被害を最小限に食い止める智慧を後世に残すことはできる。人生の終幕を目前に、11項目の教訓にまとめ、敢えてインタビューにも応じた。

改めて轟轟たる非難を受けることも覚悟の上だろう。

DVDの付嘱編にあるインタビュー。

マクナマラの好きな聖書の一節を紹介している場面がとても印象深い。難解で有名な旧約聖書「ヨブ記」。

正しい信仰の人ヨブに次々と想定外の不幸が襲う。さんざん苦しみ抜いたヨヴは、とうとう自分に耐え難い厄災を与える神の意図を問い、非難する。

なぜなら、ヨブは誰よりも神の正義を強く信じて、実践し生きてきた。その「罪なき」自分が、なぜにかくも不条理な苦しみを受けなければならないのか。その神の意志を問わざるを得ない。

まっとうな人こそ、人生や社会の不条理に苦しむ。

それまでの長い沈黙を破って、とうとう神は不条理に苦しむ人間の代表としてのヨブに宣言する。

「私が世界を創造した時、お前は何をしたというのだ。何もしてはいないではないか」と。

この神とヨブの対話は、素晴らしい智慧を与えてくれるというのだ。

ここが大事なポイントで、マクマナラはこう解釈する。

「これは人間が何をすべきかを端的に表している」のだという。

「人間には能力と機会を与えられている。まず先にそれを精一杯に活用して人間と神に仕えるべきなのだ。その上ではじめて文句が言える。」ということだ、と。

この問題は別途、真剣に考えてみたい。

一神教における「神の絶対性」という超越的な概念は、我々異教徒にはなかなか馴染みにくい。

ゲーテもドストエフスキーも、このヨブ記にヒントを得て世界的な文学を構築したという。

ダウンロード
悪魔がヨブに厄災をもたらす

ロバート・S・マクマナラは何回も自分自身にそう言い聞かせて、人生を精一杯生ききった人なのだろう。

2009年7月死去。93歳だった。

追記)2014年12月末、アメリカとキューバが国交を再開するというニュースが流れた。感慨深い。

しかし、国交開設の成否を安っぽい政治屋の得点材料にしてほしくはない。

作成者: webcitizen528

A Japanese man in Osaka

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください